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歯痛大家の独り言

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2022.04.12
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カテゴリ:その他
私が、豊ちゃんという存在を認識したのは小学校1年生のころである。

その時、豊ちゃんは6年生で、毎日の集団登校では、マイペースで先頭を歩いていた。

そのため最後尾の私はいつも置いて行かれた。

弟の私のことなど気にする性格ではないのだ。

重いランドセルを背負って、いつも小走りに追いかけて行った記憶がある。

私はまだ小さくて遅いのだから『豊ちゃん、早いよぅ!』と言いたかったものだ。

私は5つ上の兄のことを、当時からずーっと豊ちゃんと呼んでいた。

休日は、我が家から20分ほどの湖に、よく釣りに行った。

豊ちゃんら上級生は自転車で、私は乗れないので走ってついていく。

一緒に遊んでもらえるのだから、『待ってよぅ、早いよぅ』とは言えなかった。

その頃からいつもあとを追いかけていたようだった。

中学になると豊ちゃんは柔道部に入った。

その5年後、私も中学で柔道を始めた。

豊ちゃんは高校でも柔道部だった。

ある時、中学校の帰りに門を出ると、自転車で帰る途中の豊ちゃんに出くわした。

よし、自転車で家まで競争しようぜ!

小さいころから負け続けていた豊ちゃんに勝負を挑んだ。

およそ4キロの登りの道のりだが、いつも走ってついて行ったので

脚力には自信がある。

よーい、どん!

すると、みるみる間に豊ちゃんが小さくなっていく。

後ろを振り返ることもなく、すいすい漕いで行ってしまった。

『ちっきしょー、早えよ!』

心の中で叫んだ。

私が二十歳くらいのころは、よくふたりでスキーに行った。

リフトを降りると、勝手に一人で直滑降で滑り下りていく。

『もっとスキーを楽しもうぜ。何をそんなに急いでいるんだよぅ』

何度言っても聞きいれてくれなかった。

そんなに直滑降が好きなのかと聞くと、そうでもないと言う。




やがて、お互い家庭を持つようになって、ふたりで遊ぶことはなくなった。

時々酒を酌み交わすことはあったけど、酔ってすぐ眠ってしまう性分だった。

『酔うの早えーよ、まだ寝るなよ』

いつでもマイペースだ。




そんな豊ちゃんが57歳の時、病気が見つかった。

仕事を辞め、自宅で療養するようになった。

だんだん病状が悪化して、入院することになる。

コロナと相まってお見舞いに行くこともできなかった。

先日、悪い知らせが届いた。

今、大きな声で叫びたい。

『豊ちゃんのばかやろー!早いよぅ!!』





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最終更新日  2022.04.13 19:41:03
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