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テーマ:悪性リンパ腫(653)
カテゴリ:悪性リンパ腫
悪性リンパ腫と言う病名はわかったものの、実はこの病気って30種類ぐらいあって、種類ごとに治療が違うんだそうです。なので結果が出るまで治療に入れない、と言われていました。生検から10日ぐらいで結果が出ると言われていたので、治療が始まるのは11月からかなあ、なんて話をしていた私たちです。その頃には悪性リンパ腫と言うことを受け入れ、落ち着いてきていた私たちです。ダンナは覚悟を決め、会社に連絡、今後のことを話し合っていました。
生検がすみ、一旦退院したダンナですが、その頃、B症状と言われる悪性リンパ腫の症状が出ていました。 熱、寝汗、体重の減少、わき腹の痛み。 治療に入るまでのこの時期がダンナ的に一番つらかったと言います。熱と痛みと寝汗で夜も何度も目が覚める、布団に敷いたバスタオルはびっしょり。パジャマや下着を何度かえてもすぐ汗をかく…などなど。 夜は「うーん、うーん」と唸り声をあげていました。 癌の威力のすさまじさを間近に見て、ダンナは助からないかもしれない、と思ってしまったこの頃です。いろんなことを考えるとお先真っ暗になり、毎日暗い顔して仕事に行ってました。食欲も出なくて、私まで痩せてしまい、同僚の方にもたくさん心配をかけてしまいましたが、職場の中に、乳がんを克服して7年、と言う方や、同僚の知り合いに「悪性リンパ腫を克服した」と言う方がいて、いろんな話を聞かせてくれました。 それで、みんな今ではこんな元気にしているのだから、ダンナもきっと治る!と思えるようになりました。 病院では看護婦さんが「抗がん剤を始めれば、その症状はすぐにおさまりますよ~」とダンナに言っていたらしいです。その言葉通り、抗がん剤を始めればウソみたいに元気になったのですが、その頃は「こんなに苦しんでいるのに?と半信半疑で、早く治療が始まればいいのにな~と思っていました。 ダンナも何かあっても安心な病院に入院したがっていました。普通の病人は家に居たがると思うのですが、入院をみずから望むほど、しんどかったんだと思います。 この病気は血液の癌なので、手術をして取れば治る、というものではないそうです。抗がん剤で治していくのが一般的で、切るのは最初の生検のみ、手術がなければ体へのダメージも少なく、元気に治していけるのだそうです。 入院は当初の予定では11月からのはずでした。しかし生検後に行った血液検査であまりに貧血がひどく、いきなりの再入院が決まってしまいました。本人の希望通りの入院です。寝汗がひどいのでタオルと着替えを山ほど持っての入院でした。実は私もほっとしました。病院のほうが安心です。 「痛い時は痛いって言うんだよ!痛み止め打ってもらって夜はよく眠れるようにするんだよ!」と送り出しました。 二度目の入院の間、私は普段通り仕事をしつつ、夕方着替えを持ってダンナの病院に通うという毎日。都心の病院だったので、電車乗り換えて結構時間がかかってしまいましたが、広くてきれいな病院で、看護婦さんたちも親切だったため、もし私が病気になったらやっぱり同じ病院がいいなあなんて考えたりもしてました。 病人が気分転換できるようにちょっとした公園や散歩コースも作られていました。ダンナと一緒に気分転換に歩いたりしていました。 しかーし!! ある日、ダンナが駅前まで出かけたいと言うので、申し出てみたところ、「貧血がひどくなっているので」と外出許可が下りませんでした。 それならば、と、病院内のカフェでコーヒーを買って病院内の公園に行こうとしたところ、看護婦さんがちょっと待ってね、とあわてて車いすを持ってくるんです。これでご家族の方が押して行ってください、と。 「ええーっっ!??」 とダンナと二人でびっくり!! だって、だって、ついこの前までバレーボールの練習でアタック打っていたのに…今は一人で歩いてもいけない、なんて。 看護婦さん曰く、「貧血がひどいため、途中でどこかで倒れてもいけませんので」…。 病状が進んでいたんですねえ。そんな自覚はなかった私とダンナでしたが、ここは看護婦さんのおっしゃる通り、自重しなくては…。 車いすは丁寧にお断りして、しかたなく同じフロアの自販機のコーヒーで我慢した私たちでした…。 病気には慣れていない上に、ついこの前まで普通の生活だったため、つい無理しがちですが、切り替えって大事なんですね…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年01月04日 15時40分19秒
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