|
テーマ:今日のこと★☆(106238)
カテゴリ:日記
たまたま株をやってるMから電話がかかってきたので、今回の騒動について聞いてみた。やはりMはライブドア株など所有してへんかった。やっぱり。博徒は素人相手の賭け麻雀はせんのである。真のパチプロはたとえ店がゴト師と結託して店ぐるみの不正を働いてたとしても、店にいちいち文句は言わない。たまたま自分が下品なエサ場を漁ってしまっただけだと。相場師も同じではないかと思う。株で損した、というのは本来自分のスキルのなさを恥じるものであって、間違ってもテレビカメラを前に「私は騙された」などとアホ面ひっさげてのたまうものではないのである。これもひとえに堀江が素人のデイトレーダーを啓蒙してきた結果のマヌケな事態であろう。 遊び方が汚い、という言い方がある。 西成区なんぞの賭博ホテルでは、一般のサラリーマンでも遊べるようになっているのだが、「イカサマや!金返せ!」とさんざん悪態をついてジタバタと往生際の悪いのは、ヤクザではなくむしろ一般の客だという。 博打にはいつもそれなりの美学が必要なのである。哲学のない博徒はすぐ身を滅ぼす。哲学や美学というのは言い換えれば一種の意思決定基準である。キレイに遊べるかどうか。それは博打だけでなく恋愛に関しても同じことが言える。 十代の頃、友達Kの親父に賭場に連れて行ってもらったことがある。オレは途中で熱くなって鼻クソみたいな小銭で遊ばせてもろとる恩も忘れ、負けを取り返すのに必死になった。Kの親父は笑いながら「キミ、財布の中にナンボ入っとるんや?」とオレに聞いた。「八千円ぐらいスかね・・」と答えると「ほんなら四千円以上は何があっても突っ込んだらイカンな」と優しい顔で言うた。人は財布の中身が空っぽになると冷静な判断ができない。ギリギリで場に臨むと余計にドツボにハマるのが今も昔も世の常やと。財布の半分を上限と決めたオレは不思議と落ち着いて、最終的にはトントンまで盛り返すことができた。オレはその時の不思議な心の動きを今でも覚えている。あとから思えばKの親父さんがイカサマでうまくコントロールしてくれたのかもしれない。 博打に手ぇ出したことのない素人が、最近の株ブームで博打の面白さを知ってしまった。ライブドアなどに騙されたのなんのとわめく素人デイトレーダーは、たとえるなら、三十路越えてから若いセックスの魅力に取り憑かれた強欲主婦の泥沼不倫に近いものがあるような気がする。泣く前に己のスキルを恥じるべきではないか。 美学なき博徒は身を滅ぼす。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|