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カテゴリ:日記
前回の日記で「ケータイで社長に平謝りするご主人様を、目撃してしまうマゾ奴隷」を書いた。マヌケで切ない。オレはSMにまつわるこの「マヌケで切ない」部分が大好きである。SMはマヌケで切ない。ひいては人間もマヌケで切ない。だからこそオモシロイのである。もちろん普通のセックスにも無数のマヌケはついてまわる。だからこそ下ネタはオモシロイのである。マヌケのない下ネタは下品の一言に尽きる。
この日記に寄せられたコメントで「彼氏なら○○○、しかしご主人様となると○○○」といったものが複数回答あった。なるほどと思った。彼氏(または旦那)とご主人様はどこかで区別されているのだ。あたりまえと言えばあたりまえであるが。上記のシチュエーションに遭遇した時、ラブラブの彼氏なら慰めてあげられるが、ご主人様となると・・・うーん、ということ。これは本当に興味深い意見である。 考えれば考えるほど、ご主人様というのは本当に大変な立場なのだということがよく分かる。とてもやないがオレにはできん。ひょっとしたら奴隷の前で屁もこけないかもしれない。タンスの角で足の小指をぶつけてものたうち回ることすら許されないかも知れない。鼻クソがそよいでいても注意されないかも知れない。靴の裏についたガムを「ハラたつわー」と木の枝で必死に剥がす姿も、奴隷は笑ってくれないかもしれない。雪道で滑って転んだとしても、奴隷がそれについては一言も触れずに、そのまま笑いもなくやり過ごされるかもしれない。こんな辛い人生があるだろうか。自虐ネタで笑いに転換される機会をことごとくスルーされる。羞恥プレーである。ご主人様はいつでも凛として堂々とした態度でいて欲しいという奴隷の幻想をすべて飲み込み、奴隷のイメージの範疇に行動を制限されるとしたら、これではまるで「奴隷の奴隷」である。「ド奴隷」である。ドドレイ。 しかし、ご主人様は別にボランティアで奴隷を調教しているケではないやろから、なんらかのメリットがあるハズやがそれは一体何なのか。たとえ不倫でも何でも彼氏として付き合ったほうが、マヌケなところも弱い部分もお互い共有したうえで、柔和な主従関係を築くことだってできる。ご主人様として振舞いたいだけだとすれば、普通の彼氏に比べてあまりにも制限事項が多すぎやしないか。なにからなにまで面倒くさそうである。日本に名だたる奴隷調教師ならいざ知らず、そこらへんの自称S紳士たちは、彼氏またはセフレではなく「ご主人様」という立場を取ることによってどんなメリットがもたらされるのだろうか。彼氏であれ旦那であれ、縛りも浣腸もアナル調教もできるのである。現にオレなんぞはセックスの最中は噛んだり抓ったり引っ掻いたり叩いたり拘束したりするが、普段は10コ以上も年の離れた小娘に「あんた、何やってんの、もう!」とケツを叩かれたりする時もあるのである。「うわ。鼻クソ付いてる。サイテー。取ったろ。」とか。少なくともオレはそのほうがマヌケで楽しいし、幸せな時間を共有できると思もとる。 オレがいわゆる世に言うサディストとウマが合わんのはそのヘンやろな。肩凝ってしゃあない。奴隷の幻想の中でのみ生き続ける哀れなご主人様を癒してあげられる女神様はどこかにいるのだろうか。ご主人様が奴隷に会う前日にカバンにガサゴソと必要な縄やらムチやらを詰め込む姿、バイブの電池を入れ替える姿、はたまたその電池をダイソーでまとめ買いしたりしてしまう姿、奴隷を「出会い系サイト」で調達してしまう安易さ、など、やはりどう考えてもマヌケで、だからこそ愛すべき人間の姿なのだと思うのだが。 ま、でもよう考えたらそこまで漫画的に「カッコイイS紳士」を体現しとる男もそないおらんやけどなー。みんな「そこそこ」で仲良うやってるんやろと思う。何もオレがあれこれ邪推することもあらへんが、ここまで書いたしせっかくやから載せてみよ。この件に関してはこれからまわりの「自称Sたち」にインタビューして回ることに決めた。 少なくともオレにとっては、人間誰にでもあるマヌケな部分を笑って共有してもらえずに、シリアスな大根芝居を続けなければならないとしたら、人生は本当に暗くて長いトンネルのようなものであると思う。笑え。 ということで、誰か「ご主人様」だけが得られて「彼氏」や「旦那」は得ることのできないメリットを教えてください。「これは!」と思うご回答には、ささやかながらプレゼントをご用意させて頂きます。大人のオモチャから極上のおすすめケーキまで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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