|
カテゴリ:日記
バレンタインデーの罠に毎年ハマっている。この時期になるといつもより余計に「チョコが食いたく」なるのだ!ただでさえチョコ好きなオレであるが、とくにこの時期は街へ出ればこれでもか!というぐらいに美味そうな写真を使ったポスターがあちこちに貼られ、デパ地下では普段は棚の奥のほうで偉そうにしとる銘品たちが割安価格でこちらを見ている!それはまるで淫乱肉奴隷がバックの体勢で自分の両手で肛門まで拡げて「早くちょうだい!」と誘っているような状況で、「い・・いや・・僕は・・そんなつもりじゃなくてですね・・」などと足早に通り過ぎることができるほどオレは禁欲主義ではないのである。
オレは、冷蔵庫にチョコが無いと不安になるし、「チャーリーとチョコレート工場」は映画館で4回観た。かつてのチョコエッグなどは景品を捨ててチョコだけ食った男である。しかし、バレンタインデーとは、女性が男性にチョコレートをあげるイベントであると同時に、『男が一人でチョコを買う自由を奪われる日』でもある。これはナンギなことである。この自由経済において約2~3週間のあいだ「チョコを買う自由」を剥奪された男たち。ある種のラマダンである。自意識過剰なことは百も承知である。誰もオッサンがバレンタインデー付近に一人でチョコを買うことなど気にも留めないはずである。しかし大の大人がバレンタイン商戦真っ最中のデパートのチョコ売り場で女性の人波に揉まれてガサゴソとお目当てのチョコを物色する姿はハタから見れたもんではないのである。クリスマスの夜に平気な顔で風俗に行くのと同様「これだけはアカン」という人間の尊厳にかかわる境界線である。チロルチョコひとつコンビニで買うにも余計なジュースなどと一緒くたにレジに行く。なぜ普段なら普通に買えるものに、こんなエロ本を買うようなうしろめたさを感じなければいけないのか。自分の器の小ささに憤るオレ。 気持ちを抑えれば抑えるほど余計に欲しくなるのが人間である。しかもこの時期、とびきり美味そうなチョコが山盛りである。この時だけは自分でもちょっとした中毒ではないかと思う。オレの大好きな象のマークのビターチョコのドデカいサイズがワゴンで売られている!食いたい!カブりつきたい!いやしかし今はバレンタイン商戦の真っ最中であり、明日以降は一回限りのセフレのようなよそよそしさを伴って、奴らは棚から消えるのである。あ、そんなことありましたっけね?みたいな。 テーブルの上をきちんと片付けて、コーヒーをいれ、半分ぐらい飲んだところで、チョコの包装を剥ぐ瞬間はオレにとって至福の時間である。とにかくなにか手段を講じなければ。オレはチョコを食いたいピークを2月14日に来ることを絶対に避けるため、仲の良い友達にバレンタインの先行受付を開始した。先払いである。ホワイトデーは倍返しにしたるから、チョコを先にくれ。これではまるで高利貸しではないか。 「もしもし。チョコレートくれ。」「・・・なんじゃそりゃ」「くれるやろ?」「う・・うん。まぁ。でも男から言わんやろ」「言うねん。そこは。緊急事態やから。そこは言うねん」「ほぅ・・」「あのオレが好きなチョコあるやん」「知ってるよ・・でも今年は気合い入れて手作りもええかなぁ。と」「う・・・うん・・手作りもええ・・ねんけど」「象のがええのんか?」「いや・・手作りていつできるんや?」「アホか!あんた。14日でええやんか。明日忙しいん?」「いや・・わからんけど・・今日くれ」「無理やて。ほんなら象のでもええよ。せっかく手作りのあげる言うてんのにぃ」「いや、だからそれはそれとしてやね」・・・と主婦のAちゃんを誘い出し成城石井スーパーへ。「象のヤツの一番真っ黒なヤツな。三箱ほど買うてきてくれ。頼んだぞ」「しゃあないなぁ。ほんで、お金は?」「え?これバレンタインちゃうんかいな?」「何回言わせんねん!今年は手作りチョコなんや!」「あ・・ああ。そか。ほなこれは?」「え・・・ただのお使いやろ」オレは釈然とせぬ気持ちのまま、三千円を渡した。女子更衣室にカメラを持たせて潜入させるAVの手配師のような、また面が割れて直接交渉できない麻薬の密売人のように、オレは夕方の地下街の人混みに身を紛らせて待った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|