憧れの頸城鉄道車輛群
平成19年10月20日にNHKの大河ドラマ風林火山で頻繁に出てくる、長尾影虎の居城として有名な春日山城へ行ってきました。そして、「毘」の旗の由来となった毘沙門堂や春日山神社等歴史散策を楽しんできました。春日山城以外にも「頸城」という言葉の方が鉄道ファンには知られていますが、新潟県上越市頸城区百間町にある頸城鉄道展示資料館にも行ってきました。頸城鉄道は1971年4月30日に廃止された軽便鉄道ですが、特にこの軽便鉄道はホジ3という客車改造気動車の独特な形状が有名で、ハナブウも鉄道雑誌に掲載されるホジ3の写真を眺め憧れた鉄道のひとつでした。1960年代及び70年代に多くの軽便鉄道が廃止となりましたが、廃止と同時に車輛もスクラップまたは他の鉄道会社へ売却される事が多く、ホジ3を含め頸城鉄道の車輛も例外無く既に現存していないと思われていました。数年前にインターネット上で、兵庫県の六甲山麓に頸城鉄道の車輛が隠されているという話を知りました。この話を地元の頸城村商工会が聞きつけ「けいてつ協会」が仲介役となり、長きに渡り車輛を保存していた株式会社フルヴィアートの曽我部氏から、地元の「現NPOくびきのお宝のこす会」へ、将来は動態保存をするという条件で保存車輛一式が譲渡されました。そして、以下の写真は頸城鉄道旧百間町駅跡で開催された展示会の写真です。六甲山麓に眠っていた車輛群が初めて公開されたのは平成17年6月19日ですが、ハナブウも今回やっと現地へ向かう事が出来たので、300枚以上撮影した写真のうち容量の都合上25枚ほど掲載しようと思います。百間町駅跡には記念碑があります。百間町駅には左の旧本社と右の旧機関庫が現存しています。既に取り壊されていますが駅舎及びホームは機関庫の手前にありました。旧本社を反対側から撮影しました。1階部分は畳敷きになっていましたが手入れがされておらず荒れ放題でした。沢山のレールや朽ち果てた貨車も譲渡されています。この車輛がかの有名な客車改造気動車のホジ3です。ハナブウも古い鉄道雑誌を見ながら長きに渡り憧れ続けた車輛で、まさか六甲山麓に現存していたとは思いもしませんでした。外装を含め内装も再塗装されていますので現役当時の美しい姿へ再現されています。車内の中央には大きくエンジンルームの出っ張りが有り、昔はちょっとした荷物置き場に使用されていたようです。車内を撮影している時に地元の年輩の方と話をしましたが、「まさかこんな物が残っていたなんて思いもしなかった」と言っていました。鉄道ファンでさえ驚いているのに地元の方にとっては驚きと共に感激深いことでしょう。運転台は車輛の両端に有りますが仕切りが無いため運転士と会話が出来そうです。ホジ3は小さな車輛であるにも関わらず吊り革もあります。お洒落な事に吊り革の上端はハートマークになっています。ホジ3以外にも譲渡された車輛が有り、この車輛は元魚沼鉄道のハ6です。地元の女性の方が「こんなに小さな車輛だとは思わなかった」と言っていました。確かに子供の頃に乗っていれば大きく感じると思いますが、大人になれば小さく感じるのかもしれませんね。このコッペル2号機は頸城鉄道廃止後に整備され、西武山口線で赤く塗られた井笠鉄道の客車を牽引しました。引退後は直江津の市街地にある頸城自動車本社前に展示されていましたが、その後、百間町にある車庫に保存されるようになりました。このDC92機関車も譲渡された車輛です。スタッフの方に聞くと「DC92は整備をすれば動く」と言っていました。機関庫にある展示物には大池駅の駅名票があります。この駅名票も譲渡された物のひとつです。ワ7という銅体製の貨車です。木造ではないため保存状態も良くホジ3、ハ6、DC92が再塗装された今では、オリジナルカラーのまま保存されている車輛のひとつです。譲渡された木造貨車のワ14です。木造貨車でありながら綺麗に原型を保っています。この貨車もオリジナルカラーのまま保存されています。腐食して原型を辛うじて保っているト5です。この貨車も譲渡された車輛のひとつです。頸城鉄道は国鉄黒井駅の隣接地にある新黒井駅から浦川原駅までを結んでいましたが、車社会の発展により路線の両端部分で乗客率低下の影響が有り、新黒井駅から百間町駅及び飯室駅から浦川原駅が先行して廃止となりました。この横断幕は部分廃止時に掲げられた横断幕です。このコッペルの模型は地元の小学生が地域の歴史を学ぶ名目で制作したようです。ここから、終着駅の浦川原駅へ向かう事になりました。百間町駅から浦川原駅へ向かう途中に線路跡の土盛りを見つけ、朽ち果てた枕木も残っている箇所も有り感激しました。終着駅の浦川原駅は今でも駅舎が現存しておりバスのターミナルとなっています。待合室は鉄道時代のままなのでしょうか、切符売り場も少し改装しただけのようです。この写真はホーム側です。線路跡は駐車場スペースとなっており、その上には「ほくほく線」が通っています。鉄道の頃の名残が残っていないかと探したところ、待合室を出たところに改札口と思われる跡がコンクリートにありました。今度は車で始発駅であった新黒井駅へ向かいました。新黒井駅跡は何も形跡が残っておらず薮の中にそれらしき跡地があるだけでした。ただ、よくよく調べてみると新黒井駅跡の石碑が残っていました。