カテゴリ:日々徒然
白洲正子さんの短編エッセイ集「夕顔」のなかの一篇「夕顔」に、 花にも感情や魂があると書かれています。皆さんはどうお思いですか? 筆者は夕顔の花が好きで、毎年、育てている。 夕顔の花は夕方四時になるといっせいに開き、 明け方にはしぼんでしまう。 夕顔の花の開く瞬間を、まだ見たことがない。 人知れず咲くことを思うと、見るのがはばかられるような気がしないでもなかった。 それでも、筆者は夕顔の開く瞬間をみようと、ふくらんで今にも咲きそうなツボミの前に座り、 何時間も待っていると、不思議な事に、そのツボミは、 かすかにふるえたかと思うと、さもくたびれたように首を垂れてしまった。 もしかしたら、偶然かもしれないと思い、三日続けてためしてみたが、 結果は同じだったそうです(三日もこんなことする白洲さんってオチャメだったんですね^^)。 そこで筆者は、夕顔は非常に敏感な植物なので、 花を咲かせるという重大な秘事を、凝視されることが堪えがたかったのではあるまいか。 と書かれています。 この白洲さんの経験談を読みながら、 そういえば、私も花の開く瞬間をどの花にしても見たことがありません。 いつも、あれ!と気がつけば咲いていた。そんな感じです。 花が呼吸し成長しているということは肌で感じてきたことですが、 花の感情や魂について留意して考えたことのなかった私は、 この筆者の経験を読みながら、 花と接するもの(or生けるもの)として警鐘を聞いたように思えました。 居間にクリローと白花イカリ草をガラスの花器にいれて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.05 16:40:18
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