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カテゴリ:その理由?弁護士は自分の弁護できまへん。
名物ゆうたら『津山30人殺し』(あ、知らん人は適当に検索しんちゃい)で、今更手垢が付き過ぎて出尽くした感さえ覚えるんじゃけど、(うちやこう小学校後期くらいには知っとった事じゃし)ネタ的に県外の方にはもれなく喜ばれようる。
うちの実家は事件の有った旧加茂町の隣町(合併で今はどっちも津山市)じゃったけん、当時の爺さんが「家にも来んかいな」ゆうて本気でビビッとったらしいで。 で、常々、山間部寒村の閉塞感や排他的体質ゆうか、土地柄をこれ一つで見事に現し切った実話版アレゴリー(変な熟語)じゃあ思うん。 うちは時恰も70年代高度経済成長期後期にあって尚、孤高とも呼べる古色蒼然とした家育ち。岩井志麻子である、『犬神家』である、『八墓村』なんである。(横溝正史は笠岡に疎開しとった) じーさんは厳しゅうて恐かったけん、よう近寄れなんだ。牛は神様で食卓に並んだ憶えの有る動物性タンパク質ゆうたらカシワとジャコとサンマくらいじゃ。教育勅語やこうソラで言える。・・・な訳ないがあ。 そんな息苦しさは保育園や小学校の同級生達には微塵もない。その頃から誰一人「分かち合う言葉」を持たない宇宙人のような気がしとった。いや、大きゅうなった今現在も誰とも話やこうしょうらんけど。 古いもん(建築や民芸等)は昔からぶち好きじゃけど、ねっとりジメジメ薄暗い伝統、古い因習、縁故しがらみなんかがフラッシュ・バックする事もある。身に染み込んで払拭し切れんもんじゃろうな。 抑圧や支配がテーマの本に敏感じゃった。アリス・ウォ-カー、アレックス・ヘイリー、マルコムX。 倉敷で学校時代、必要書類等の為帰省せんといけんかった時はR53号北上するにつれ、息切れ吐き気で運転ストップしいしいじゃった。 なんかあの頃に戻ったような今日の魂の叫び「自由が欲しい」神様。 因に県北は岡山県南の「ぼっけえ」も「でぇれー」も「~しねぇ」も使わんし、微妙に話し言葉が違うとる。「つかあさい」は、もう日常会話じゃあ聞けんけど、私なんかはウケをさらう目的でたまに使用。あとハズさないのは「やっちもねぇ」と「そ」じゃ。 作州弁方言指導、ジャーマンおかやまん・はなみ。翻訳は最寄りの中国圏の方にお尋ね下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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