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テーマ:小学生ママの日記(28695)
カテゴリ:子供にまつわるあれこれ
昨日、花子が学校から帰ってきて、
「お母さん、ちょっと聞いて~。今日さぁ…」 と、大変憤慨した様子で話し出した。 話はこうだ。 家庭科の授業の時、家庭科室に移動すると、イスがクラスの人数分に一脚足りなくて、花子は座れずにいた。 授業が始まる間際、一人の男の子が家庭科の先生に 「先生、イスが一つ足りません。花子ちゃんの分がありません。」 と申し出てくれたらしい。 すると家庭科の教師は、ただ一言 「なかよく座りましょう」と言ったという。 家庭科室はグループ単位でのテーブル席になっているらしく、花子はしかたなく班の子達に 「だれか、半分こして座らせてくれないかな」 と尋ねたらしいのだが、誰もそうしてくれる気配はない。 「いつも仲良くしてる子たちがだれかいたらよかったんだけど、家庭科の班はあまり親しくない子ばっかりだったから…」 と花子は言う。 そして花子は、しかたなく床に膝をついて授業を受けたという。 授業中ずっと、である。 一時間近くある授業中、教師がそのことに気がつかないわけが無い、と思う。 たぶん、分かっていて、そのまま放っておいたのだ。 話を聞いて、ひどいと思った。 あとで分かったことだが、イスは他の学年の子達が、勝手に持ち出してそのままにして置いたらしい。だから、足りなかったのだ。 しかし、授業の前に「イスが足りない」と子供が申し出ているのに、探そうとも、他の場所から持ってこさせようともせず、「仲良く座れ」とはいったいどういうつもりだろう。 授業を受ける環境を整えるのは学校側の責任で行うべきことであって、子供たちの責任ではないと私は思う。 イスが足りないから、たまたまその席に当たった子供は床にじかに座って授業を受けなければならない、と言うのはどう考えてもおかしいと思うのだ。 実はその先生は、他にもたくさん問題があり、数年前から担任を持っていない。 一つ一つのエピソードを挙げるとキリがないので書かないが、どう考えても子供を嫌いな人としか思えない。 「子供は嫌い、でも教師と言う安定した職業は好き。」そういう教師が少なからずいるのは事実だ。 きちんとした子供を育てるには、きちんとした大人が必要なのは当たり前のことだ。 「最近の親は躾がなっていない」と十把一絡げに言われるけれど、実際には、きちんとした幸せな子供に育てるために一生懸命奮闘している親のほうが多いのだ。 教師と言う職業に就くからには、それを理解した上で、子供たちに関わって欲しい。 自分達の一挙手一投足が、子供たちの記憶に残り、子供たちに影響するのだということを、深く胸に刻んで欲しい。 社会の動きをきちんと把握して、自分が教える子供たちをとりまく環境がどんなものか、よく勉強して欲しい。 そして、先生と呼ばれるからには、新米であろうがなんであろうが、プロとしての意識を高く持って欲しい。 たかがイス一脚のことと思えば、なんでもないことなのかも知れないし、もしかしたら学校という閉鎖された世界の中では、こんなことは日常茶飯事なのかもしれない。 でも、子育ては日々、重箱の隅をつつくような些細な事の積み重ねなのだ。 そして子供は教師が思っているほど鈍感な生き物ではない。 教師から見れば数十脚のイスの中の、たかが一脚かもしれないが、子供にとってはそうではない。 それは、その教師に対する不信感の種をまく行為だ。 ゆとりとか、生きる力の教育とか、そういった心地よい響きの言葉ばかり並べる教育は要らないから、きちんとした教師だけで構成された学校を作って欲しい。 子供のことを本当に大切に考えてくれる教師を育成して欲しい。 そういう環境を作るのが本当の教育改革ではないかと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年09月14日 09時41分18秒
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