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野の花も日々あれこれ考える

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2007年01月31日
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カテゴリ:世の中のあれこれ
志摩観光ホテルといえば、今話題の「華麗なる一族」の舞台にもなっているので、名前を聞いたことのある人も多いだろう。
物語の冒頭、セレブな家族の象徴として、この新館にあるレストランで食事をする様子が描かれているらしい。
テレビでは1話と5話でこのホテルのレストランが使われているという。

ホテルの新館にあるこのレストランは、アワビのステーキが有名で、「地元で取れたアワビと地元で取れた大根を煮ることで驚くような柔らかさを出す」という独特の手法は、昔、大阪ガスのCMでも映像とともに紹介されていた。

私と殿は、結婚して間もない頃、話の種に(…というか、ある種「怖いもの見たさ」のような気分で)このレストランに食事をしに行ったことがある。
殿は、その名物の「アワビのステーキ」を、私は「シーフードカレー」を注文した。
アワビのステーキは、単品(パンもライスもなにもついていない、ステーキそのもの一皿)で当時1万円、シーフードカレーは一皿6千円だったと記憶している。
シーフードカレーに6千円?!とびっくりしたものだが、その一皿にはアワビも伊勢海老もゴロゴロと入っていて、その恐ろしく旨そうなカレーを目の前にして「こんなのシーフードカレーって呼ばないでよ!」と思ったのを今も覚えている。
(実際、今は違う名前になっているようだ。笑)


このときのことを思い出すたびに、殿と二人で「あの頃は我が家にも余分なお金が結構あったんだねぇ」としみじみしてしまうのだが、とにかくその時は若さも手伝って、ランチタイムだと言うのにボトルワインを頼み、その他にアラカルトでつまみも注文し、帰りには一世一代の支払いをしたのだった。
しかし、美しい景色も堪能できるし、料理は本当においしいので、もしお金の余っている方で伊勢志摩観光に来られるご予定のある方にはオススメだ(笑)


その志摩観光ホテルの創業以来使われてきた東館が、今日1月31日をもって改装のために閉館した。


この東館は、故・村野藤吾氏の設計で、開業以来今日まで約55年間使われてきた名建築である。


村野氏の名前は知らなくても、たとえば関東の人なら「新高輪プリンスホテル」「箱根プリンスホテル」「箱根樹木園休憩所」「八ヶ岳美術館」、関西の人なら「都ホテル大阪」「梅田の換気塔」「宝塚市庁舎」「宝ヶ池プリンスホテル」「旧心斎橋そごう」…と聞くと、どれかは見たことがあるのではないかと思う。
殿が心の師と仰ぐ建築家で、細やかで繊細なディテールの美しい建物を作られた方だ。


太郎がまだほんのよちよち歩きの頃までは、私たちはしょっちゅう、この志摩観光ホテルのお庭に遊びに出かけた。
きれいに整えられた芝の上を歩くだけでも、本当に清清しい気持ちになれた。
そして、この東館のロビーは、とても重厚感があり、クラシカルで、上等なホテルの風格が感じられた。
しかし、初めて訪れた時にも、一般の人を拒絶するような堅苦しさや空気の重さが全くなく、建物の中をくるりと歩いてまわるだけでも、なんだかいい気分になれるような、不思議な建物だった。


後に箱根プリンスホテルに泊まったときにも、やはり同じような印象を受けた。
それで、「この不思議な優しさと繊細さは、建築物が持つ力なのだ」と理解できたのだった。
とにかく村野氏は、さぞかしお洒落でハイカラなおじいちゃんだったのだろうなぁと感心するようなデザインと配慮をする人なのだ。

ああいう建築を作れることができる人は、たぶんもう日本には出てこないのだろうと思う。
日本の様式美と欧米のスマートさの両方をきちんと身につけている人だからこその、美しい建築だったのだろうと思う。


その貴重な建築物が、今日で役目を終えてしまう。
「もったいない」なんて簡単な言葉では表現できない寂しさを感じる。
写真や映像の記録は残るのだろうが、あの優しい空気の柔らかさは後に伝えることはできない。
私は自分の中に大切にしまっておいて、時々思い出したいと思う。





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Last updated  2007年01月31日 14時20分28秒
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