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テーマ:介護・看護・喪失(5316)
カテゴリ:実家(陽気な父・明るい母・おもろい妹)
父が退院して2日経ち、どうしているかなぁと少し心配になって、母にメールを送ってみた。
しかし、返事がない。 だんだん心配になって妹に連絡してみると、父は退院当日は「やっぱり家はいいなぁ」と喜んでいたものの、一夜明けた翌日から荒れ始め、昼も夜も母に暴言を吐き続けていたとのことだった。 妹も今朝から心配していたらしく「朝から一度もメールが返ってこないし、もしもお父ちゃんが暴力を振るいはじめて二人とも怪我をしていたら大変やから、いっぺん様子見てくるわ。」と言ってくれた。 二日前には、明るい声で「今、退院してきたからな!いろいろ心配かけたな。」と嬉しそうに電話をしてきた父だった。 しかし、やはり認知症はかなり進行しているらしく、感情の抑制がかなり難しくなっているのだろう。 そう考えると、あの嬉しそうな声も、少しはしゃぎすぎて聞こえたようにも思える。 とにかく怪我をしていないことを祈りながら、妹からの連絡を待った。 そうしてそれからしばらく経って、妹から「二人とも無事だが、父はかなり訳の分からないことで怒りまくっている」という内容のメールが来た。 とにかく、母のなにげない一言一言にくってかかり、まったく関係のない話につなげて怒鳴り続ける。 そして、しまいには母に実家に帰れ!出て行け!とののしるのだそうだ。 意味のない怒りなので、母もまわりもどう対処してよいか分からず、父が少し落ち着きをみせると、その間に食事や身の回りの世話をし、またそのうちの何かが気に入らないと言って父が怒鳴り始め…ということを繰り返しているという。 とにかく、闘う相手のことを、私も母も妹も、もっと知らなければいけないと思った。 私は本屋へすっ飛んで行き、とにかく認知症についての資料を買い漁り、妹はネットで調べられる限りの最新情報を仕入れることにした。 これは、と思う情報があればコピーし、メールやファックスで送りあった。 もちろん、実際の認知症の介護で必要な知識全部が、文字の資料から得られるとは思っていないが、知っているのと知らないのとでは、次につなぐ気持ちがまったく違うのだ。 こうして私たち3人の、父の認知症との闘いは、本格的に始まった。 丸2日、ほとんど眠れずに怒鳴り続けられている母は、すでに少し精神的な疲れが出始めていて、一度なんとか少しでもガス抜きをしなければ、という状態に来ていた。 離れていては、本当になにも役に立たないものだと、自分の親不孝を改めて思い知りながら、母に「とにかくいろいろなことを、今、一生懸命調べて考えているから、もうちょっと頑張っててな。私もなにか手伝える方法を必ず考えるから。」とメールを送った。 「しばらくは私がちょくちょく顔を出すから、ねーちゃんもまたいっぺんきたってな。」と妹からメールが来た。 私は私にできる役割をはっきりとつかまなくてはいけないと、少し焦った。 だが、これは長期の闘いなのだ。 近くで見ている二人よりも、冷静で、そして明るくいられるようにしようと思う。 悲愴感のただよう介護なんて、続けられるわけがないのだから。 さて、どうやって父を、そして母を笑わせようか。 暗中模索の日々が始まる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年03月02日 14時40分39秒
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