野の花も日々あれこれ考える

今朝、妹から「お母ちゃんにメール送ったのに、返事がけえへんねん。なにかあったんかなぁ」とメールが来た。
「忙しいか、メールに気付いてないだけかもしれんで。」
そう返信したものの、ちょっと気がかりだった。

実はここ数日、実家の父は異常なほどに機嫌が悪く、母への攻撃行動がずっと続いていた。
認知症の進行し始めた父にとっては、気圧の変動はとても不快なものであるらしく、低気圧が通過したり、ぐずついたお天気が続くと、てきめんにそれが攻撃行動に出てしまう。
感情を抑制する機能が壊れてしまっているので、不快な気分はそのまま母への八つ当たりとなるのだ。

妹も、父の機嫌がなかなか良くならないことをこの数日ずっと気にしており、母がなにか暴力を受けて、メールに返信できないような事態になっているのではないかと心配をしているのだった。
母は少し前にも、父の機嫌が悪くなった時に、夜中にいきなりものすごい力で腕をつかまれ、何日も消えないほどの大きな青アザを作っていた。
父は言語の能力が衰え始めていて、暴力に訴えてしまうようになっていた。


しばらくして、また妹から「やっぱりメール来ないわ。なにかあったんやったらどうしよう。」とメールが来た。
胸に、なにかいやな重さのものがのしかかるような、なんともいえない不安が押し寄せてくる。

昨日は内科を受診する日だったのだが、病院でもずっと母を大声でののしっていたらしく、今までにない父の様子を聞いて、私たちは少し困惑した。
今日も朝からずっと機嫌が悪くて、思いつく限りの罵詈雑言を母に浴びせかけていると聞いていた。
もしも階段付近で父が母に暴力を振るって、階段から突き落とされてしまうようなことになっていたら…もしも父がなにか刃物を持ち出して、母を切りつけたりしていたら…と最悪の想像ばかりが頭の中を駆け巡り始めた。


少し怖くなって妹に電話をすると、妹も同じようなことを心配していた。
二人で、攻撃行動が激しい時の対処方法などを考えてみたが、結局コレと言う決め手になるものは考えつかなかった。
ただ、普段の穏やかにしている時の父に対しての、母の接し方などにも、少し工夫がいるのではないかということは、私も妹も感じていた。
今までは普通に理解していた母の言葉も、認知症の父の脳では少し違った、悪い方向に聞こえたりすることがあるのかもしれないし、いつもそばにいるがために気付かないなにか前触れやサインのようなものがあるのではないか、とも話し合った。

そうこうして、心配しているうちにお昼前になった。
太郎の塾の春期講習が１時頃から始まるので、少し早めにお昼を食べさせなければならない。
急いでいる最中に私のケータイのメール着信音が鳴ったけれど、手が離せなかったのでしばらく経ってから開けてみた。
するとメールは叔母の一人（父の末妹）からだった。

「ののはなちゃんのお父ちゃんがまたえらく怒ってはるみたい。今から様子を見に行ってきます。」


母があまりにも怒り狂っている父をどうにもできなくて、仕方なく叔母に連絡をしたらしい。
メールを返信しようかと思っていた矢先、叔母が私の実家から電話をかけてきた。
実家にはもう一人の叔母も駆けつけてくれていた。

「お父ちゃんな、もうずっとお母ちゃんのことを怒ってはるねん。ののはなちゃんからも少しなにか言うてあげて」と言って電話を父にかわる。
父はいきなり大声で「あのなー！お前の母親は俺に隠れて酒ばっかり飲みやがって、俺にウソばっかりついて平気な顔しとるねんぞ！あの女はアホでウソツキでアル中の盗人なんや。俺はもういつでもあいつを殺す準備ができてるし、いつでも殴る用意もあるんじゃあ。」と、ものすごい興奮状態であった。

尋常ではない様子は父の妙にテンションの高い声からもすぐに感じられた。
父はここのところ、夜中になると妄想や幻覚の症状が見られた。
言っていることは全て、母を悪者にするために大げさに脚色されていた。

「お母ちゃんはそんなにお酒飲まへんやん。缶ビール一本ぐらいやろ？そんなん誰でも飲むよ。」と言うと、父は大声で「お前は知らんだけや、こいつはビールの大ビン８本をラッパのみしとったんやぞ」

…ビール瓶８本をラッパのみする母を想像してちょっと笑って、それから一気に悲しくなった。
よりによって、そんなひどい妄想はなかろう。
毎日、食べることも出すことも寝ることも移動することも、母は全力でサポートしていて、今クタクタに疲れていると言うのに。

しかし父は大真面目に怒っている。
母の小さな一つ一つについて悪口を言う。
例えば
●母は自分の好きな物を買い込むために、妹夫婦に毎週のように買い物を頼み、自分も毎日買い物に行って好きなものを買いまくっている。
（実際は妹夫婦に頼んでいるのは父のオムツ。毎日の買い物はもちろん食料品などだ。）

●乾燥機が壊れているのに、ずっと隠していた。母がめちゃくちゃな使い方をして壊したから、黙って知らん顔をしていた。
（実は父の排泄障害がひどくなり、毎日ものすごい量の洗濯物を乾かしたのでパンクしてしまった。母はそれを父が気にするとかわいそうだと思い、黙っていたのだ。）

という具合である。

しまいには無理矢理に母を悪者にしようとして、話している間につじつまが合わなくなったりもしている。
しかし怒りは一向に治まらない。
いや、怒っているというか…口汚くののしることを楽しんでいる？
なにかまるで、母を悪く言うことを面白がって、汚い言葉に拍車がかかっているように私には感じられたのだ。
叔母に電話をかわってもらい「お父ちゃん、顔つきはしっかりしてる？よだれは出てない？」と尋ねると「少し目つきがおかしいけど、よだれは全然出てないよ。体も傾いてないし、びっくりするほど元気。」という。


やはり、父は誰かの悪口を言っている時には、頭の中が少しすっきりして爽快感があるのだと思った。

父は自分が一番偉そうに振舞う相手のはずだった母に生活の全てを面倒見てもらっている今の自分を認めたくないのだ。
しかし、現実にそういう状況から抜け出すことはできないから、逆に母を貶めることで自分の立場を高く確保して、精神のバランスを保とうとしているのだろう。
だが、コントロールのきかなくなった脳では、ちょうど良いところでやめることができず、どんどん加速して暴走してしまい、収拾がつかない事態になっているのだ。

仕方ないので、電話口で父に「お父ちゃんが腹を立ててる気持ちはよーく分かったから、私からもお母ちゃんによく言っとくから。ちょっと落ち着かないと、のども渇くし、血圧にも悪いよ。」と、震えてしまう声をやっと押さえつけて、できるだけ穏やかに言った。
父は「おう、お前からもこのアホ女に言うて聞かせろ。こんなヤツは殺されても仕方ないんやからな。」という。
電話口の向こうで、母が「こんなことばっかり言われて悔しいわ」とすすり泣いているのが聞こえる。


太郎を塾に送らなくてはならない時間が迫っていた。
ちょうど、お昼ご飯を食べに戻っていた殿に頼もうと思ったが、殿は私の電話の様子が普通でないとわかって、すでに逃げてしまっていた。
叔母に「ごめん、ちょっと出かけないといけないから、戻ったらまたかけるね。」と謝って一旦受話器を置いた。
鉛の塊を無理矢理飲み込まされたような、苦しくてやりきれない気分で家を出た。

（つづく）