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テーマ:介護・看護・喪失(5316)
カテゴリ:実家(陽気な父・明るい母・おもろい妹)
(1からのつづき)
太郎を塾に送った帰り道、妹からメールが来た。 運転中の私に代わって花子が読んでくれたが、妹はまだ、叔母達が集まっていることも、事態の収拾がつかなくなっていることも知らない様子だった。 運転中の私に代わって花子が妹にことの次第を説明した。 そして自宅に着いたら私から電話するから待ってて、と花子から妹に伝える。 家に着いて、妹にことの顛末を話し、次に、再び実家へ電話をかける。 叔母が出てくれたのだが、バックには父の怒鳴り声と母の泣き声と、もう一人の叔母の、父をなだめる声が聞こえている。 叔母も完全に困り果てていた。 叔母は「もう一回、ののはなちゃんからなにか話してみて」と言う。 だが、電話口に出た父が放った言葉は 「もうコイツのこと、殺してもええか?」というものだった。 少しまたテンションが上がり、妙な半笑いの声になっている。 「そんなん殺してもらったら困るわ。どうしても一緒にいるのがいやなら私が迎えに行っておかあちゃんを家につれて来ようか?」と、精一杯普通の会話のように聞き返す。 「こんなヤツ連れて行ったら、お前の家でもウソついたり酒ばっかり飲んで困るぞ!」と言うので、「かまわへんよ。私の大事なお母ちゃんやから、じゃあ私がもらってこちらに連れてくるわ。」今度は明るく言ってみる。 父は妙な声で「まあまあ、それは考えとくわ」と言う。 そこで母に代わってもらい、様々な言葉でなだめようとした。 けれど母の心もボロボロになっていて、私の話をちゃんと聞いているのかどうか怪しい返事をしていた。 それでも、できるだけのことを母に伝え、最後に「くれぐれも怪我をさされんように気をつけなあかんよ。万が一の時も救急車を呼んだり私らに連絡ができるように、ケータイは必ず見身につけておいて」と頼んで電話を切った。 たぶん、こういう状態の父はもう、どんな言葉も聞いていないし、何を言っても状況は変わらないのだろう。 体力が限界に来て、悪口を言いつかれて止まってしまうまで、放っておくしか方法はない。 母はただただ嵐が頭上を過ぎ去るのを、じっと待っているしかないのだと思うと、何もできない自分が情けなくて泣けてきた。 それでも、私は私の家庭も動かさなければならないのだ。 夕食の準備をして、洗濯物を片付ける。 5時には太郎を迎えに行って、少し早い夕食の後、今度はテニススクールへ乗せていかなくてはいけない。 何をやっているのか自分でもふと分からなくなってしまうような、そんな錯覚に何度も襲われながら夕食を作り、再び太郎の塾へ。 太郎は車に乗り込むなり「じーじはどうなった?」と尋ねてきた。 状況を説明したが、太郎は難しい顔をして黙って聞いていた。 叔母が最初にメールをくれてから、すでに5時間以上が経っている。 今も父は大声でわめき続けているのかと思うと、やりきれなくて胸が締め付けられるようだった。 妹とも、叔母たちとも、たくさん話をしたけれど、結局どうすれば良いのかは皆目見当がつかなかった。 認知症のことをどれだけ勉強しても、攻撃行動に対する決め手の対処法はないようだった。 実際、認知症の夫を介護している奥さんは、傷だらけであることが多いのだ。 叩かれても蹴られても、罵詈雑言を浴びせられても、ただじっと「これは病気だから仕方がないのだ」と耐えるしかないなんて、悲しいにもほどがある。 いっそ、もっと認知症が進んで、おとなしくなってしまったほうが母はうんとラクに介護ができるだろう。 攻撃行動の出る頃が、家族にとっては一番大変な時期であり、もっと進むと言語を失ったり、身近な人の顔が判らなくなったりするらしい。 「お前は誰?」と聞かれることは辛いだろうけれど、今よりはマシに思える。 私は車を運転しながら、父が早く死へ近づくことを望み始めていた。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年03月29日 01時19分06秒
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