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テーマ:中学生ママの日記(17695)
カテゴリ:子供にまつわるあれこれ
昨日は過去に遡って7日分の日記を更新した。
お気に入りつながりの方々からはさっそくコメントをいただき、本当に嬉しかった。 今日はこの日記を書き込んでから、お返事を書こうと思っている。 さて、本題に。 太郎には、小学校時代から仲良くしているZくんと言う友達がいる。 彼は、小さい頃から進学塾に通い、高学年になってからは土曜日も日曜日も塾の特別クラスでバリバリ勉強してきた秀才くんだ。 しかし勉強だけではなく、小さい頃からスイミングスクールにも通い、大会ではかなりの成績を修めるほどのスポーツマンでもある。 ご両親は中学受験を強く勧めておられたので、彼はいくつもの私立中学を受験し、全部に合格した。 けれども、どういうわけか彼は地元の公立中学に進学した。 そして今、常に学年トップの成績を維持している。 そんな彼に追いつき、いつかは追い越したいと言うのが太郎の目標で、昨年同じクラスになってからは、太郎はいつも彼を意識するようになった。 今年は別のクラスになったのだが、塾が同じということもあって、やはり彼は太郎の目標になっている。 ライバルというには、太郎は相手にもなっていないのだが、それでも目標にしたい友達が、すぐ自分の側にいることは、太郎にとっては頑張る原動力になっているようで、私は良いことだと思っていた。 お互いにいろいろな情報交換もしているようで、なんだかほほえましい感じがして、男の子同士の友達っていいもんだなぁと思っていたのだった。 ところが最近、ちょっと気になる事が増えてきた。 Zくんがひどい風邪で学校を休んだ時、Zくんは学校に「太郎にノートを取っておいてくれるように言っておいてください」と連絡をしたのだという。 私は、そういう連絡を学校に入れること自体にも少し違和感を感じたのだが、その後、元気になった彼は太郎に「日曜日のお昼頃に数学と英語のノートを借りに行くから」とメールで連絡をしてきた。 太郎の都合も聞かず、である。 太郎はその日、自分の勉強でもノートが必要だった(定期テスト前だった)ので、彼の休んでいた5日分ほどのノートをコピーして渡した。 するとZくんは、まるで当たり前のように「なんだコピーしたのか。ノートだったら全部借りたらかわいそうと思って2科目だけと言ったのに。じゃあ他の教科もコピーよろしく。」と言って帰ったのだ。 その彼の物言いにちょっとカチンときた私だったが、その時は、まぁ中学生の男子なんてこんなものなのかな…と思うことにした。 しかし、気になることはそれだけでは済まなかった。 例えば体育の時、太郎がZくんと同じ記録を出すと「えーー、太郎と同じかよ…」とあからさまに言い、主要科目の課題や小テストの時には「太郎になんか負けたら死ぬわ」なんてことを笑いながら言うらしいのだ。 太郎は笑って聞き流しているようだが、私はちょっといやな気分になった。 仮に冗談のつもりでも、それはあまりにも失礼じゃないか。 そして先日、たまたま二人とも部活が休みになった日があった。 うちはZくんの通学路の途中にあるので、一緒に帰ってきたZくんはちょっとうちに立ち寄っていった。 最初、二人は庭で立ち話をして、子供部屋の増築工事を眺めていた。 そしてZくんはいきなりニヤリと笑って玄関へ向かい、太郎が止めるのも聞かずに(もちろん挨拶もなしに)勝手に家の中へずかずかと上がりこんだのだった。 我が家は夫婦の寝室以外は間仕切りのない一つの空間になっている。 だから「誰かを連れてくる場合には、事前に家族に言っておくこと」というのが我が家のルールになっている。 私は庭で洗濯物を取り込んでる最中だったので、Zくんの行動に驚きながらも、太郎がどうするか眺めていた。 太郎は大慌てで「勝手に上がるなよー!ちょっと待て!」と止めていたが、Zくんは家の中にいた花子も無視して、2階へ勝手に上がっていった。 2階といっても、吹き抜けで1階とつながっているので、彼が勝手に本棚や机を物色したり、「こんな参考書いらんやろ」だの「ふふん、こんなにいっぱい問題集買ってるんや」だのと鼻で笑っているのが聞こえていた。 彼が帰ったあと、私は太郎に「Zくんてあんなに行儀の悪い子なん?あれはちょっと普通じゃないよ。」と、がっかりして言った。 すると太郎は「いや、あいつはあんなんや。ものすごく勉強できるんやから、ちょっと変わってるところがあっても仕方ないよ。あいつの親は勉強にはものすごく厳しくてさぁ、成績落ちたらおやじに殴られるらしいけど、その分、他は自由にさせてるんじゃないの?そういうおかげであいつはずっとトップでおられるんやし。」と言った。 その一言が、私にとってはものすごく気分の悪いものだった。 勉強ができたら、常識をはずれていても仕方ないという太郎の考えは、どうしても許せなかった。 それに、勉強さえできれば他はどうでも良いという子育ての方針を、まるで素晴らしいことのように言う太郎の気持ちが、まったく違う考えで子供達を育ててきた私には理解できなかった。 もしかしたら太郎は、心のどこかで「自分もZくんの家のような方針で育てられたらもっと成績が上がったかもしれない」と思っているのかもしれない。 私は久しぶりに、太郎に長い時間をかけて説教をした。 太郎はちょっと迷惑そうにしていたが、そんなことでひるんでいては中学生に物を言うことなんてできないので、かまわず懇々と私の考えを言い聞かせた。 勉強ができるとか、スポーツができるとか、バレエやピアノやお習字が上手だとか、そういうことは確かにとても素晴らしいことではあるけれども、それを人間としての当たり前のことと引き換えてはいけないと、私は思っている。 「得意なこと」は子供の世界を広げるために大切に伸ばしてやりたいと思っているが、そのために基本的なことがおろそかになってしまうのは、私はいやなのだ。 特に、感受性やセンスが育ち始める小学校高学年ごろから、中学生・高校生の頃には、親が示してやらなければならない社会の常識が山のようにある。 それらを一つ一つ丁寧にしつけるのは骨が折れる作業だけれど、それが親としての仕事のクライマックスではないかと私は思っている。 だから、それが時には勉強のための時間を削ってしまうことになるとしても、私はそれを優先するよ、と説教の最後に私は太郎に言った。 はじめ、不服そうに聞いていた太郎だったが、しまいには(あまりに長い説教に根負けしてか)うんうんと頷いて聞いた。 だが、本当のところ、それでいいのか?という疑問が私の中に確かに残っている。 私の思いは、所詮は理想論、キレイゴトであって、そんなことを言っていては子供の勉強の妨げになるというのが真実なのではないか。 今の時期は、何を犠牲にしても勉強を、というZくんのご両親の考えが本当は正解で、私は負け犬の遠吠えのように、太郎が彼に勝てない悔しさを「人間性」とか「常識」とか「行儀」なんてことでごまかしているだけなのではないか。 ここへ来て、なんだかよく分からなくなってきてしまった。 優しくて賢い、そしてオモロイ子供に育てたいといつも思ってきたのだが、それはけっこう難しいことなのだなぁと思い、そして、ちょっぴり情けない気持ちになる私なのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年05月22日 21時14分09秒
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