嬉しさと悲しさ
体調も良くなったので、午後からは子供達と近くの広場へ出掛けました。天気も良く寒さがマシなので助かる~。木々も紅葉しはじめて、子供達は落ち葉や木の実拾いに夢中。大人よりも幼児は視野が狭いので、キョロキョロしている割に、見落としがち。「あそこにドングリ落ちてるぞ~」「どこ?どこ~?」「あ~、行き過ぎ~、3歩戻ってみ」「もぅ、どこよぉぅ~?」「右脚の一歩前や」「え~?」グチッ!「あ~踏んじゃった」「あ…」「あ~あ、潰れた~♪」「…」「しゃぁーない、次探すぞ」「あ、あの木の下に落ちてるぞ!!急げ!!」「え!」バタバタ~、「パパどこよぉ~?」なんて事を繰り返し、散歩道を進みます。楽しいし幸せな気分になったりしますが、同じ場所に居ても口しか参加できていない事をふと考え、瞬間的にブルーな気持ちに突き落とされます。嬉しさと悲しさ。普段家で感じるのよりも、鋭く心に響きやすい状況。自分以外の誰かへ物理的に降りかかる悲しさってのは余り無いから、自分の身体的不利な状況や精神的な事が主とした悲しさ。もしこの気持ちの割合が見えない力で五分五分とされているなら、その都度誰にも気付かれずに悲しみの世界に佇んでいます…。その空気を悟られたくはないけど、でもやっぱりわかって欲しい、そんなわがままな気分にもなったり。もし本当に五分五分なら、この怪我は自分で感じている以上に大きな悲しみであって欲しい。そうでないと、毎日のちょっとした嬉しさが積み重なって、いつか終わりが来るんじゃないかって怖くなるから。そうやって良い精神状態から悪い方を見る事が出来る。立ち直りきっては居ないだろうけど、穏やかな心で過せている日が続いている事を感じる。 そうさせてくれている家族とみんなに感謝。さっきの瞬間的なブルーな気持ちを素早く振り切り、秋の空を見上げる。深呼吸すると澄んだ空気が体中に行き渡り、心も体もスッキリさせてくれる。2年目までの空は、落車して地面に寝転がり見る事が多かった。それは最も遠い場所から見た存在で、澄んだ空とは対照的に心の中は悲しさと悔しさの雨模様だった。1日経っても2日経っても立ち直れず、自分自身の存在すら嫌になった。今日の空はそこにあった。あの頃より100センチほどしか近付いてはいないけど。でも、永遠に近づけない存在だとは感じなかった。この腕をかざし、自分の脚で立ち、もう一度空へ触れてやる。気持ちを上手くリフレッシュできました。ありがとう。連れ出してくれて。ありがとう。この穏やかでない道を、息を切らしながら、でも楽しく語りかけながら車椅子を押してくれて。