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日本は、たびたび、「謝罪」している・・・・ (はんぺん)
彼らのいう「謝罪」とは、いったい、何を言うのだろうか?
歴代の首相や天皇が、謙虚に、何度も「謝罪」してきたが、韓国メディアは、正確に、報道してこなかったことは、良く知られている。
こんにち、マスコミの影響が世論を大きく左右するというのが、先進国の現状だ。 「謝罪」の事実について、知らされなかった以上、国民は、「謝罪が無い・・・」 「謝れ・・・」と叫ぶのは、自然の流れだろう。
しかし、一般国民は、知らされてこなかったのは、仕方がないとしても、少なくても韓国政界の上層部が、知らないハズは無い。それを隠して、国民の尻馬に乗って、「謝れ」「謝れ」と、反日を煽る彼らには、何かキナ臭いものがあるとしか思えない。
文ジェイン大統領は、「真摯な謝罪」を求めているというが、これまでの歴代の首相や天皇の「謝罪」は、(真摯では無かった)ということのようだ・・・・
情緒政治を利用して、「反日」「反米」「反保守」へ・・・・は、韓国歴代の親北朝鮮政権(金大中-盧武鉉-文ジェイン)の最大目標だから、彼らの罪は、計り知れないほど大きいと言える。
以下の資料(ウィキペディアから)を、再掲する・・・
1983年、日本の中曽根首相が韓国のマスコミに対し、「過去の歴史において 不幸な歴史があったのは事実であり、厳粛に受け止めなければならない」と謝罪した。
1984年、昭和天皇は訪日した全斗煥大統領に、「両国の間に不幸な過去が存在したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならない」と過去に対し公式に謝罪した。
1990年、明仁天皇は、盧泰愚大統領が訪日した際、「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」と発言。 1990年5月、海部俊樹首相は、「私は、大統領閣下をお迎えしたこの機会に、過去の一時期,朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて謙虚に反省し、率直にお詫びの気持を申し述べたいと存じます。」と謝罪した。 1992年1月に宮沢首相は、「この間、朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて、ここに改めて、心からの反省の意とお詫びの気持ちを表明いたします。最近、いわゆる従軍慰安婦の問題が取り上げられていますが,私は、このようなことは実に心の痛むことであり,誠に申し訳なく思っております。」と謝罪した。 1992年、加藤紘一内閣官房長官は、「政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。」と謝罪した。 1993年、 河野洋平内閣官房長官は、「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」(河野談話) 1993年には細川首相が、「まずはこの場をかりて、過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる」と謝罪。 1993年9月24日には、細川護煕首相が、「私が侵略戦争、侵略行為という表現を用いましたのは、過去の我が国の行為が多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたとの同一の認識を率直に述べたものでございまして、改めて深い反省とおわびの気持ちを表明したものでございます。」と謝罪した。 1994年には村山首相が「従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。」と謝罪した。 1996年、橋本龍太郎首相は、「例えば創氏改名といったこと。我々が全く学校の教育の中では知ることのなかったことでありましたが、そうしたことがいかに多くのお国の方々の心を傷つけたかは想像に余りあるものがあります。また今、従軍慰安婦の問題に触れられましたが、私はこの問題ほど女性の名誉と尊厳を傷つけた 問題はないと思います。そして、心からおわびと反省の言葉を申し上げたいと思います」 と謝罪。 1996年 明仁天皇は、「このような密接な交流の歴史のある反面、一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております。」と発言。 1998年7月15日 - 橋本龍太郎首相は、「我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的な責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております。私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題と認識しており、数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省の気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います」「我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。我が国としては、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えながら、2000年には交流400周年を迎える貴国との友好関係を更に増進することに全力を傾けてまいりたいと思います。」と謝罪。(オランダ王国のコック首相への書簡) 1998年に小渕首相は、金大中大統領との共同宣言で「我が国が過去の一時期、韓国国民に対し、植民地支配により多大な損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からお詫びする」と謝罪した。 2000年、山崎隆一郎外務報道官は、「本記事では、日本が第二次大戦中の行為について、中国に対して一度も謝罪をしていないと書かれているが、実際には日本は戦争中の行為について繰り返し謝罪を表明してきている。とりわけ、1995年8月に、村山総理(当時)が公式談話を発表し、日本が『植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました』と述べ、『痛切な反省の意』と『心からのお詫びの気持ち』を表明し、また、1998年に、小渕総理(当時)が、日本を公式訪問した江沢民主席に対して、村山談話を再確認している。」(“外務報道官談話2000年8月7日付ニューヨーク・タイムズ紙の記事に対する反論記事”) 2001年、小泉純一郎首相は、「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております…。」と謝罪した。 2001年には、小泉純一郎首相は、ソウル訪問時に、日本帝国主義時代に独立運動家などが投獄されていた西大門刑務所に行き、過去の歴史について謝罪した。 2002年9月17日 小泉純一郎首相は、「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。」と、謝罪した。 2003年8月15日 - 小泉純一郎首相は、「先の大戦において、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、ここに深い反省の念を新たにし、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。」と謝罪。 2005年4月22日 - 小泉純一郎首相は、「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。……」と謝罪した。 2005年8月15日 小泉純一郎首相は、「また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。…… 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。…… とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。」(いわゆる小泉談話) 2007年4月28日、安倍晋三首相は、「慰安婦の問題について昨日、議会においてもお話をしました。自分は、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいであります、20世紀は人権侵害の多かった世紀であり、21世紀が人権侵害のない素晴らしい世紀になるよう、日本としても貢献したいと考えています、と述べた。またこのような話を本日、ブッシュ大統領にも、お話しました」(日米首脳会談後の記者会見) 2010年8月10日 - 菅直人首相(民主党所属)は、「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」と謝罪している。
――――――――――――――――――――――――――――――――――― いったい、どれだけ「謝罪」すれば良いものか・・・「心がこもっていない」 「真摯な謝罪でない」と、誰が判断するのだろうか???????? 韓国のメディアが、国民に、これらの「謝罪」を知らせない意図は、何か? キナ臭いものを感じるのは、僕だけだろうか・・・
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――
参考・・・・・・ ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙
拝啓
このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民 基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際 し、私の気持ちを表明させていただきます。
いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊 厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改 めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しが たい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上 げます。
我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりませ ん。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏 まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき 暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなけれ ばならないと考えております。
末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心か らお祈りしております。
敬具 平成13(2001)年 日本国内閣総理大臣 小泉純一郎 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.01.05 01:15:29
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