カテゴリ:反戦平和
大本営は沖縄戦を本土決戦までの時間稼ぎと位置づけ、沖縄は、まさに「捨て石」とされた。・・・それは、戦争遂行上の戦略的政策として、理解できる。
もともと無謀極まりない(戦争ごっこ)だった。冷静に見れば、勝てる戦争では無かったが、狂気の時代、(無理が通れば道理が引っ込む)時代だった。
歴史には、この無理筋が多かっただろう。その積み重ねが、人間の歴史だったのかもしれない。
そもそも(理性的な戦争)などは、ありえない。「話し合いで・・・」「国連で・・・・」と何回叫んでも、現実に話し合いは決裂し、国連の調停努力も実らず、戦争に至った例が、何度繰り返されたことだろうか・・・・
国連自体が、国力の激突の場であるからだ。局地的紛争(戦争)に終わる場合もあるが、世界戦争に至る場合も・・・「諸国民の公正と信義」(憲法前文)に頼ることの無責任さ・・・・その空文句から、戦後日本は、出発したのだろう。
(平和憲法幻想)とも言うべきものだ。これに(社会主義幻想)が、合体。 誰でも戦争はイヤだ。地上の楽園(社会主義)を夢想して、(みんなで渡れば怖くない)とばかりに、検証(裏付け)無しに、「社会主義」(=地上の楽園)に飛びついた。
戦後の日本が、戦争無しに来れたのは、(平和憲法のおかげ)という、間違った論理が横行して、国民を惑わせた。
地政学的に検討すれば、明らかだった。もし、日本が、ベトナムや韓国に位置していたら、(平和憲法があろうがなかろうが)朝鮮戦争(1956年~)や、中越戦争(1979年)は、避けられなかったのだから・・・・能天気な平和主義者には、呆れてしまう・・・
「重い病気やけがを負った隊員は足手まといになるため、射殺された)(本文) ・・・・戦争とはこういうものだ。残虐で、反人道的なのが(戦争)だ。帝国主義軍隊と共産主義軍隊による残虐さ、凄惨さに大差はないハズだ。現実は、そういうものだ。
沖縄を「捨て石」にする、「重い病気やけがを負った日本兵は足手まといになるので、射殺する・・・」きわめて合理的で、戦争の常識だろう。 平時では、殺人は法的処罰の対象になるが、戦時では合法化される。罪には問われない・・・
正義の戦争、不正義の戦争など誰が決めるのだろうか❓ 様々な大義が持ち出されれて、戦争が煽られる。 僕も「戦争一般」には反対だが、ことは、そう単純ではない。戦争には、相手があるからだ。複数の国が絡んでくる。(平和憲法があれば良し)と言うのは、あまりにも馬鹿げているのだ・・・・
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.09 03:08:56
コメント(0) | コメントを書く
[反戦平和] カテゴリの最新記事
|
|