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上野に言わせてもらえば、結婚の定義とは、以下のとおりです。「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」(本文)・・・だそうだ。
人間って、面白い動物だ。歴史的には、いつのまにか、(秩序)(きまり)が決められて、自身を縛り付ける社会に暗転している。一夫一婦制が、いかに、現実離れしているか! というこは、はっきりしている。
1回しかない人生だから、本当に好きになったら、誰とでも何回でも、自由気ままに恋愛できる社会になれば・・・みんな幸せな人生を送れるのに・・・・
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 結婚とは「一瞬が永遠に続く」という妄想だ 上野千鶴子さんが語る「結婚と家族」 2016-9-9 上野 千鶴子(東京大学名誉教授) 東洋経済オンライン 上野千鶴子さんが語る「結婚」とは?
日本を代表する社会学者であり、フェミニズムの牽引役でもある上野千鶴子氏。朝日新聞の人気連載「悩みのるつぼ」では学生から70代主婦など、年齢、属性の異なるさまざまな人の悩みに答えるなど、人生相談の名手としても知られる。
「相手のとどめを刺さず、もて遊びなさい」「立ちはだかる壁は、迂回せよ」など、過去の名言は数知れず。それらを収録した新著『上野千鶴子のサバイバル語録』刊行記念ブックトーク(朝日カルチャーセンター新宿)で語られた、上野先生の思いとは――。前編記事に続き後編をお届けする。
結婚、出産、仕事…女の長い人生、どう勝負するか
「人はなぜ不倫するのか」と、先日、取材で聞かれました。質問の主は、不倫ジャーナリズム界の女王・亀山早苗さん。 だから、こう答えました。「人はなぜ不倫せずにいられるのか」と。 私は、不倫しないでいられる、ということのほうが理解できない。
以前、ある地方都市にいったら、結婚式場のポスターが貼ってあって、花嫁姿の写真に、こんなコピーがついてました。「最後の恋がはじまる」。それを見て、ウソばっかり、と思ったの。たとえば20代で結婚を決めたとして、これから人生100年になるとしたら、その後、70〜80年、あたらしい恋愛を封印するなんて考えにくいですよね。
上野に言わせてもらえば、結婚の定義とは、以下のとおりです。「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」。
いわば、これから他の人と恋愛をしないということを、結婚した方々は、神さまの前で誓ってきたということなのでしょうか。
私がフェミニズムを、なんのためにやってきたか。男女平等ももちろんだけれども、それ以前に、自分の自由を制約されたくないから。とくに性的な自由は大事だと思っています。その自由をむざむざ、人に手渡すというのが、よく分からない。
結婚願望は、いまの若い世代も高いのよね。みなさんは、結婚したい? もう、しちゃった?
一瞬が永遠に続くと信じることを、妄想と言います。だから、結婚が一生続くと思うのは、血迷ったのか、それともルール違反を承知でぬけぬけとうそついたのか。私は、どっちもできなかったの。愚直だったのかも知れませんね(苦笑)。
そんなことを話している上野に対して、「実は、結婚することになりまして」と、すまなさそうな顔で言ってくる教え子もいます。でもね、結婚するな、と言っているわけではないのよ。自分の人生に巻き込んでいい、相手の人生に巻き込まれていい。そう思えるほどコミットできる相手は、一生のうちで5人もいないはず。
そういう「血迷える相手」に出会えるのは、やはり幸福なこと。この経験は、しないよりしたほうがいい。相手の人生や人格に深く立ち入ることで、とことん、自分に向き合えるから。
ただし、このような関係を結ぶことは、婚姻届を出さないかたちでも可能です。上野は男嫌い、と言われるけれども、そうでもない。恋愛はしないより、したほうがいい。授業料を払ってでも、なにかを得られる関係は、持ったほうがいいと思っています。
家父長制という構造のドツボにはまっていた母
長年、朝日新聞のお悩み相談の回答者をしていますが、母と娘にまつわる質問がすごく多い。とくに娘からの相談で「母を嫌いになっていいのか。そんな私は、間違ってるのか」という内容のもの。
私の両親は、夫婦仲が悪かった。父は開業医で、母は専業主婦。母からは、「離婚できないのはあんたのせいよ」と、ずっと言われて育ったの。自らの不幸の原因が子どもにあると。子どもに負債感を負わせるという、いわば「弱者の戦略」を採用したんですね。
なので、ちっちゃいときは、「お母さん、かわいそう」と思ってたの。母は、ただでさえ娘を取り込んで味方にするからね。でもね、10代になって両親の関係をじーっと見て、こう思ったの。
「あなたの不幸は、夫を取り替えてもなくならないよ」と。なぜなら母が、家父長制という構造のドツボにはまっているとわかったから。だから、私は、はまらないでおこう、と思った。家父長制という構造について研究したら、『家父長制と資本制』という一冊のぶ厚い本になりました。書くのに10年かかりましたが、ああ、私は母のリベンジ戦をやったのだ、と気づきました。
ただ、私みたいな娘がいたら、いやだろうね、とも思うの。母を仮借なく批判する、思春期の娘。10代の娘を抱えて育てる母は、身内に刺(トゲ)を抱えるようなつらさだと思う。その後、娘は成長して人生経験を積むと、母の置かれた立場に理解と同情を覚えて、「お母さんも、大変だったのね」と、わかってくれるようになりますが。
でもね、母は被害者のままというわけではないの。女は家父長制の代理人として、ときに抑圧者にもなる。娘に対しては母として、嫁に対しては姑として。
母娘対決のタイミングを逃すな そんな母娘関係の場合、いつか対決する必要がある。母親が、若くて元気だったら、たとえ対決して傷ついても、立ち直れる。一山を越せば、また別のいい母娘関係にもなれるしね。でも、私はそのチャンスから逃げちゃったの。大学進学を機に家から出てしまったから。
私が43歳のときに、母は亡くなりました。対決しようとしたときには、すでに病気にかかって弱者になっていた。だからそれが本当に心残りなのです。ですから、自戒も込めて、母娘対決のタイミングを逃すな、とアドバイスしたいですね。
それから、友だち関係について。必要なときに駆けつけてくれて、自分を支えてくれて、慰めてくれて、経験を分かち合ってくれるからこそ、友だち。放っておくのは友人ではない。友だちには、メンテナンスが必要なんです。メンテナンスというといかにもカタカナコトバだけど、いわば、水やり、ですね。
いまとなっては信じられないかもしれないけど、40年前に、女同士のあいだに、友情は成り立つか、女の敵は女、というテーマがディベートの題目になっていたことがあります。もし女が、自分が女であることを嫌悪し、相手が女であることを侮蔑していたら、女同士の友情は成立しない。でも、折にふれメンテしてきた関係というのは、そもそも相手の生き方にリスペクトがあるから。
友情のひとつに、同世代の友情があります。同じ時代に同じように成熟して、老いてきた。共通の経験がたくさんあります。だんだん私も高齢になるにつれて、ひとり去り、ふたり去り、3人去っていく。その人と共有した経験が、自分のなかからもぎとられて、スカスカになるような気分に襲われます。長生きのつらさってこれなんだな、と最近思うようになりました。
でもね、こう思ったの。ならば、若い友だちをつくればいいじゃないの、と。けれど、若い人は未熟だから、こちらが与えたのと同じものは返ってこない。そう覚悟しないと、つきあえません。見返りが欲しいという欲を持ったら、うまくいかない。これが年下の友人をつくる秘訣です。
そういえば、卒業時に、私にこうあいさつした学生がいました。「先生、長々お世話になりました。このご恩は、自分がこれから自分が教える学生に返します」って。みごとなせりふです。それで、いいんです、私に返ってこなくてぜんぜん、いい(笑)。
『おひとりさまの老後』の書名にもなった、おひとりさま。この言葉が広がったのは、とてもいいことだと思う。それまでは、高齢の独身女性へ対する呼び名は、ひどかったですからね。「嫁かず後家」、「オールドミス」「負け犬」ですから。
その後、「孤独死」と言われたくなくて、『男おひとりさま道』という本を書きました。そこでは、「孤独死」あらため「在宅ひとり死」という言葉を思いつきました。
首都圏のシングル率(30代)は3割台。この人たちがこれから結婚する確率は低い。となると当然、これからは「在宅ひとり死」が増えるでしょう。私は介護関係の講演会では、こういう質問をよくするんです。「みなさんは、死ぬときに、誰かに手を握っていてほしいですか」「死の床では、子や孫に取り囲んでほしいですか」と。
そこで、手をあげるのは、だいたい、おっさん。それとは対照的に、女の人は、覚悟が決まってる人が多い。ひとりで死ぬことを不幸と思わなきゃ、そんなもんだ、と。
人生の勝負は、短期では決まらない
書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします がんをはじめ、今の時代は、だいたい死期を予測できるようになっている。なので、もしみなさんも、うちの親もぼちぼちかな、と思ったら、日頃からこう伝えておいたほうがいい。「あなたの子どもでよかった。一緒に過ごせてよかった」って。臨終間際に「お母さんっ!」と、取りすがるよりもね。
だから、「ありがとう」「さようなら」を何度でも言ったらいいと思う。さようならを言って、そのあとでまた会ったら? 「また会えてよかったね」と、そして「さようなら」って心を込めて言えばいいじゃない。
私もこの年齢になると、追悼文を書く機会も増えました。だけど、なんぼいいこといったって、死人には届かない。なんで生きてるときに、言ってあげなかったんだろう、と。だから、この頃は、人に合うたびに、「あなたのこんなところが好き」「あの時はとても助かった」と伝えて、相手のことを褒めるようにしているの。だから「上野に褒められると、死期が近い」と、思われるかもね(笑)。
人生の勝負は、短期では決まりません。自分だけ抜け駆けして出世したって、仕事を優先し過ぎたツケが子どもに来るかもしれないし、会社だってあなたの貢献に報いてくれるとは限らない。
年を取れば、どんな強者でも弱者になる。どんなに力のあった人もいずれ老いさらばえ、ボケて人の世話になりながら死んでいく。いま68歳の私は、全盛期に比べたら体力も気力も衰えてきているし、完全にくだり坂。ピークは過ぎたと実感しています。ピークへ行くまでが、上り坂。それからの下り坂が長いんです。
ピークっていうのは、過ぎたあとになって気づくもの。過ぎてしまったら「あら、あれが私のピークなの」「なんだ、あの程度だったのね」って。
もし強者のままで死にたかったら、早死にするしかない。そうもいかないから、どうやって自分の人生を終わらせていくかが、関心事になってくる。
私が教えていた東大生は、みんな、親や教師に褒められたくて、がんばってきた子たち。でもね、親や教師と、あんたとだったら、どっちが先に死ぬの? 彼らの死後は、誰があんたを褒めるの、って。
最後の最後に自分の人生を認めるのは、自分しかいない。
死ぬ間際に「ああ、面白かった、楽しかった、生きてきてよかった」と言えるような人生を送りたいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.11.02 22:12:20
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