阪神淡路大震災 「一人は みんなのために、みんなは一人のために!」の精神で、(人事を尽くして、天命を待つ)・・・・で、謙虚に、真摯に、ポジティブに生き抜こう!! 2023-1-17 はんぺん
阪神淡路大震災 「一人は みんなのために、みんなは一人のために!」の精神で、(人事を尽くして、天命を待つ)・・・・で、謙虚に、真摯に、ポジティブに生き抜こう!! 2023-1-17 はんぺん 阪神淡路大震災(1995年)から、28年が経った。6,434人が亡くなったという。運命とは、そういうものか・・・・という思いが強い。この災害を機に、様々な取り組みが、なされてきたが、まだまだ(人事は尽くされていない)と繰り返し叫ばれている。(備え)に(完了)は無いだろう・・・・が、政府のリーダーシップが問われ続けている!! 28年前、全国の自治体から、多量の支援物資などを積んだトラックが、神戸方面を目指した。もちろん大阪府下の多くの自治体からも、相当数の支援物資を積んだトラックが、送り出されたが、大渋滞が発生して、現地に着くまで何日もかかったことが記憶に残っている。 この震災を機に、災害ボランテイアが、注目され始めていく。 当時、僕は、社青同(社会主義青年同盟)の友人に誘われて、ボランティアに参加した。たしか、尼崎の旭堂小南陵氏(当時は、社会党参議員議員)の仕切っている支援テントに詰めた事があった。 自社さ政権の村山首相は、この大災害の前にして、充分なリーダーシップを発揮できたわけでは無かったが、これは、それまでの自民党政権の統治下での災害対策の不備のツケを背負わされたというわけで、運が悪かった・・・・・ このような国難にあって、自衛隊の存在意義が、ますます説得力を持つようになり、(自衛隊反対)を主張するリベラルが、浮いていくばかりに、事態は推移した。これは、東日本大震災においても、同じで、自衛隊の活躍は世界から、ますます注目されることになっていった・・・・・ 当時、聞いたある情報・・・・情報源は、忘れたが・・・・自衛隊員が、被災者に(おにぎり)を配っているのを見て、リベラル左派の一部が、(自衛隊のおにぎりを もらわずに頑張りましょう・・・)という内容のビラを撒いたとか聞いて、呆れてしまった思い出がある。(こういう事は、28年経っても忘れることは無い) 昔から、京阪神地区は、自然災害の少ない、気候も温暖な、住みよい地域だと多くの住民は思っていたし、今回の阪神淡路大震災でも、僕の住む南河内は、比較的震災被害は少なかった。 しかし、大阪府内でも、多くの活断層が確認されていて、大震災が、いつ起こってもおかしくないそうだ・・・・・・ 皆さんは、どう思われるか? はんぺん――――――――――――――――――――――――――――唯一とされる『震災当日の医療現場の映像』指揮した外科部長が命じた蘇生中止「やることやって、あかんかったら、次の人を助けなあかん」阪神・淡路大震災トリアージの瞬間(動画)https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/280116?display=1 阪神・淡路大震災(NHKアーカイブス)https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030267_00000 ――――――――――――――――こちらは、3.11東日本大震災の記録です。【日本赤十字社】石巻赤十字病院~東日本大震災 初動の記録~(動画)https://www.youtube.com/watch?v=Pc1ZO7YwcWc これは、(おまけ)ですが・・・・https://www.youtube.com/watch?v=wAFYVpX45xs