カテゴリ:反戦平和
腐敗した日本軍の実態を 端的に示すのは、あの「特攻」(特別攻撃隊)だろう。多くの若者を死に追いやった将校連中は、戦後、何知らぬ顔をして、普通の生活を送ったのだから、死んでしまった若者たちは、浮かばれないのだ。
「必ず、私も後に続くから・・・」と送り出した高級将校たちの話を 今回も、知覧のガイドさんから聞いたし、本にも書かれているので、隠しようのないこと。 これを(腐敗)と言わずして何というか?
東条英機は、「生きて虜囚の辱めを受けず」の(戦場訓)で有名だが、本人は、あろうことか!敗戦後、虜囚にされ、東京裁判で裁かれた。戦争指導者のトップが、こんなブザマでは、あの「必ず、私も後に続くから・・・」と送り出した将校連中と、どこが違うのか・・・・・・・・・・
生還を許さない航空特攻(自殺特攻)で、およそ4,000名の無駄死にが、発生。ノンフィクション作家の保阪正康さん(74)は「特攻は日本の恥部。美化することは、それを命じた軍当局と変わらない」と断罪する。
「卑怯な軍人たちに指導された日本軍が、負けて良かった!」と、つくづく思う。
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――
僕の母は、今、97歳で、老人ホームに入所しているが、戦争中に(堺大空襲)を体験している。無数の焼夷弾が降る中、炎の中を逃げ回ったという。多くの堺市民が、殺された。もし、この時、母が亡くなっていたら、今の僕は、当然存在しない。戦争を命令したヒロヒト(昭和)は、戦争責任を追及されずに、ぬくぬくと生き続けた。不思議な感じがする・・・・ (はんぺん)
(以下、堺市のホームページから) 戦争体験証言集「堺大空襲」を制作・貸出し 最終更新日:2012年12月19日
証言者の方たちからは「とにかくものすごい焼夷弾が落ちてきましてね。『シャーシャーシャー』という音がしてね。その時は防空壕なんて全然入っていられないので、表に出てきて家に水をかけました。」
「防空頭巾を防火用水でぼてぼてにぬらして、それを被って、兄と僕は手をつないでとにかく浜のほうへ逃げたんです。」等、空襲の時の様子や「飛行機の部品とかね。あんなん作ってた。強制的にみんな動員に行かされた。さぼったりなんて絶対できへん。」といった学徒動員の話等、戦時下の堺のまちで暮らしていた方たちの体験談とあわせて当時の記録や写真等も収録しています。
現在、当館等で貸出しを行っていますので学校や地域等での平和学習にご活用ください。
■堺大空襲(全4巻) 「vol.1 堺大空襲編(39分)」 「vol.2 学校生活・疎開編(26分)」 「vol.3 学徒動員編(28分)」 「vol.4 絵本編(28分)」
■貸出しの申し込み 当館か人権推進課(電話:072-228-7420)まで電話等でお申し込みください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.04.14 22:34:24
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