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2021.04.28
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カテゴリ:反戦平和

沖縄戦では、多くの日本兵や民間人が、米軍に追われて、ガマ(壕)に逃げ込んで、(人知れず)亡くなっている。見つからなかった遺骨の捜索は、今も続けられていて、ときどき思い出したように見つかっているという。

 

激戦地・硫黄島でも、日本人2万の遺骨の内、回収されたのは、1万だけ。しかし、DNA鑑定が進まず、身元が判明したのは、わずか4件のみだという。大半の遺骨は、当ても無く(一時保管)されている。 残りの1万の遺骨は、見つかっていない。多くの人骨が、壕内に遺されているわけだ・・・・

 

この歳になると、人の(生き死に)について、考えることが多くなった。遺骨は、故人の遺された(証明)でもあるので、遺された人々は、(弔ってやりたい)と思っている・・・しかし、それは、正しいのだろうか??

 

昔の僕は、戦争で亡くなった死者の遺骨を探し続けるのは、戦争を始めた日本国の最低限の責任だ・・・と考えてきた。

しかし、それが正しいのか? 少し前から疑問がわいてくるようになった。

 

多くの日本兵が、硫黄島で亡くなったのは、確かだ。しかし、戦争で亡くなった(=殺された)のは、彼らだけではないだろう。多くの兵士や民間人が、殺されたのだ。戦闘艦艇や輸送船が、爆撃や魚雷などで、海底深く沈められた。多くの遺骨は、深海に沈んだままで、たぶん、引き上げられることはないだろう。

 

広島や長崎の原爆投下で、多くの市民が殺されたが、一瞬で溶かされて蒸発した肉体が、見つかることは、ありえない・・・遺骨は、存在しないのだ。

 

そう考えてくると、果たして、いつまでも(遺骨回収)にこだわることが、生産的なのか? と思うのだ。皆さんは、どう思われるか?

 

インパール作戦では、敗走する日本軍の道中は、(白骨街道)と呼ばれたという。ジャングルと飢餓との戦いで、多くの日本兵が殺された。敵は、イギリス兵では無く、飢餓と密林だったのだ。当然、戦後の遺骨の回収は、難航した。

 

僕が、違和感を感じ続けてきたのは、(遺骨回収)だけではない。(墓)(葬式)(仏壇)などについても、同じことだ。

 

前に書いた・・・死んだ後の自分の事を覚えていてくれるのは、近しい家族、一部の親族だろう・・・その彼らも、やがては、亡くなり、遺品は、全て処分されて消え去ることに。そもそも(墓)(葬式)(仏壇)などは、遺された遺族たちの

形(かたち)づくり・・・で、それ以上の何物でもない。

 

(墓)(葬式)などは、時代や地域で、大きく異なるもので、(絶対)のモノでは全く無い。教会や神社仏閣などの変遷を俯瞰すれば、いかに人類はムダなこと繰り返してきたか・・・と呆れるばかりだ。

 

僕は、それらに(違和感)を持ち続けている。個人墓は、いつか見捨てられ、無縁墓に合葬されて・・・いつかは、それも無くなるのは、明らかだ。

 

それでも、皆さんは、(墓)(葬式)などに、こだわりますか???

皆さんは、どう思われるか?      (はんぺん)

――――――――――――――――――――――――――――――

老年期と思春期に違いはない(月夜の森の梟:40)

  2021-4-3  小池真理子(作家) 朝日新聞デジタル


 夫に残された時間がわずかになったと知り、或(あ)る晩、私は彼の高校時代からの友人A氏に電話をかけた。

 

 壮年期はそれぞれ仕事に全力投球し、疎遠になったり、近づき合ったり。男同士、互いに妙な自意識の火花を散らしつつ、こまめに連絡することも稀(まれ)だったが、いざとなれば誰よりも理屈抜きで信頼し合える。二人はそんな間柄だった。

 

 A氏はむろん、夫の病気の詳細を知っていたが、まさかそれほどのことになっているとは思っていなかったらしい。私の報告を聞いたとたん、電話口で絶句した。声を押し殺して泣き始めた。冬の夜のしじまの中、私たちは互いに言葉を失ったまま、しばし、むせび泣いた。

 

 夫と同年齢で、昨年古希を迎えたA氏と、先日、久しぶりに電話で話した。

 

 長く生きてきて、嵐のような出来事の数々をくぐり抜け、突っ走り、おかげで厄介な持病も抱えこんだ。しかし、別に後悔はしていない。とりたてて趣味もない仕事人間だったが、総じてよき人生だったと考え、このまま穏やかにフェイドアウトしていくはずだったのが、思いがけず、十五のころから親しくしてきた友を亡くした。しかもその直後、コロナに見舞われ、残された時間を漠とした不安と共に生きざるを得なくなった。いろいろな意味で、僕にとって藤田の死は、あまりにも大きかった、あれからすべてが変わってしまったように感じる……独り語りでもするかのように、彼は私にそう言った。

 

 若いころ私は、人は老いるにしたがって、いろいろなことが楽になっていくに違いない、と思っていた。のどかな春の日の午後、公園のベンチに座り、ぼんやりと遠くを眺めている老人は、皆、人生を超越し、達観しているのだろう、と信じていた。ささくれ立ってやまなかった感情は和らぎ、物静かな諦めが心身を解放し、人生は総じて、優しい夕暮れの光のようなヴェールに包まれているのだろう、と。

 

 だが、それはとんでもない誤解であった。老年期と思春期の、いったいどこに違いがあろうか。生命の輝きも哀(かな)しみも不安も、希望も絶望も、研ぎ澄まされてやまない感覚をもてあましながら生きる人々にとっては同じである。老年期の落ち着きは、たぶん、ほとんどの場合、見せかけのものに過ぎず、たいていの人は心の中で、思春期だった時と変わらぬ、どうにもしがたい感受性と日々、闘って生きている。

 

 ここのところ、風の強い日が増えた。山から森に吹き降りてくる風は、ごうごうと凄(すさ)まじい音をたてながら、まだ芽吹きを迎えていない樹々(きぎ)の梢(こずえ)を大きく揺らして去っていく。

 

 ミソサザイの鈴のような美しい声音が四方八方から聞こえる。振り仰げば、雲ひとつない群青色の空。あまりに青く眩(まぶ)しくて、どこまでが夢でどこまでがうつつなのか、わからなくなる。

 






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最終更新日  2021.04.29 02:17:56
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