カテゴリ:反天皇制
(絞首刑)にされるべき天皇ヒロヒトは、東京裁判から外され、免罪された 2022-1-24 (はんぺん) 国民は、天皇(ヒロヒトと読め)の赤子だった時代、国民の命は超軽かったのだ。赤紙1枚で、召集されて戦場に送られた。もちろん抵抗すれば(反逆)の罪で、捕まり投獄され、(拷問)などで厳しく罰せられた。
明治末期には,皇室=国民の宗家,天皇=国民の父,国民=天皇の赤子という家族国家観が成立した(家族制度)。そこでは君への忠と親への孝が一致するという日本道徳論が展開された。…(「世界大百科事典」コトバンク)
戦記物を読んでいて、無能な戦闘指揮官の話はヤマほどあるが、(上官の命令は、天皇の命令だ)ということで、(無能)に対する罰はスルーされていった・・・
(絶対国防圏)がサイパン陥落で破られた時点で、敗戦は誰が見ても明らかなのに、戦争指導者たちは戦争責任を回避すべく、戦争継続して日本国民の犠牲者をいたずらに増加させたのだ。
この時点で降伏していれば、南方諸島の玉砕、沖縄・ヒロシマ・ナガサキの犠牲者、本土空襲、特攻隊の犠牲・・・多くのアジア民衆の更なる犠牲・・・を出さなくて済んだという事だ。
すべては、ヒロヒト(天皇)をトップとした戦争指導者たちの無能の結果である。彼らの戦争責任は、東京裁判では、予想された(米ソ対決)を前に、極めて不十分にしか追及されなかった。(絞首刑)にされるべき天皇ヒロヒトは、東京裁判から外され、免罪され(国体=天皇制)は維持されたのだ。
歴史は、不合理の積み重ねでつくられているように僕には思える。
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――― (天声人語)続・日米開戦80年 2021-12-8 朝日新聞 真珠湾といえば航空機による攻撃が思い浮かぶが、海中を進む特殊潜航艇5隻も参加した。
いずれも帰還はかなわず、戦死した乗組員は「九軍神」とたたえられた。艇は2人乗りだから10人のはずだが、残る1人のことは伏せられた
▼その人、酒巻和男さんは生き残って米軍の捕虜になっていた。搭乗した艇が計器の故障で自由にならず、攻撃され捕らえられた。
彼が戦後に書いた『捕虜第一号』には、収容所で死を望む姿がある。捕虜になるのは日本人の恥だと教え込まれていたからだ
▼撃ち殺してほしいと米兵に求めて押し問答になったが、やがて思い直す。「何の理由を以(もっ)て非国民と呼び、死ななければならないと言ひ得るのであらうか」。他の捕虜たちにもそう訴えた
▼軍隊は国家のために死をいとわない兵士を求めるものだが、日本軍は極端だった。戦陣訓で「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」としたのは死ぬまで戦わせるためだろう。
軍人勅諭には「死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ」の言葉があった
▼敗戦までの1年間を「絶望的抗戦期」と呼ぶことがあるという(吉田裕著『日本軍兵士』)。敗戦必至なのに日本軍はあくまで抗戦を続けた。個の命を軽んじた先に起きた悲劇が特攻であり、硫黄島の全滅、そして沖縄戦である
▼戦時下、朝日新聞はじめメディアは死をたたえ続けた。特殊潜航艇の戦死については「軍神九柱」「偉勲輝く」の見出しで、若者たちの顔写真を並べた。 神格化と命の軽視は紙一重なのだと改めて思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.01.24 00:00:13
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