カテゴリ:死刑制度
「死刑ルポ」(佐藤大介著、幻冬舎新書)を読んで思う① 2022-2-13 (はんぺん) 今回、この本を選んだのは、僕は(死刑維持派、死刑必要派)だから・・・ 以前、このブログで、「ヒットラーでも死刑にしないの?」(中山千夏)を批判したことがある。
彼女は「殺人はいけない、死刑は殺人だ、だから死刑は良くない」という死刑廃止論者だそうだ。(「ヒットラーでも死刑にしないの?」29ページ)
彼女は、この本で、「例外を、認めない、(こちら側に)正義があっても殺さない、という方針だ。今ここに存在している人を殺す権利は誰にもない、ヒットラーといえども、人である。殺してはならない。」(「ヒットラーでも死刑にしないの?」35ページ)
詳細は、ここでは述べないが、僕はこの本を読み進む中で、あまりにも予断と独断、そして想像力の無さに、怒りがフツフツと湧き上がってきて止まらなかったことだけは、記しておく。
今回のこの「死刑ルポ」(佐藤大介:幻冬舎新書)は、死刑廃止の立場から書かれている。僕とは、真逆の立場だ。それはいい・・・中身は・・・
社民党福島参議院議員が2012年秋に、確定死刑囚全員にアンケート調査を実施している。 あの坂本弁護士一家殺害や信者殺害の実行役として殺人罪で死刑が確定したオウム真理教の信者、宮前(旧姓:岡崎)一明死刑囚は、それに応えて「世のため、人のためと願い、会社を辞めて、全財産を布施して出家。そして59日間、真っ暗闇の中での24時間修行を経ての様々な神秘体験の果てに、宗教の呪縛に取りつかれてしまい、ある教義の妄念のもと、犯してしまった殺人事件。もともと犯罪歴も何も無い宗教的な善人といえる者ほど妄信すれば、迷うことなく大きな犯罪を冒すことは、オウムの実行犯を見て判るように、人とは、思い込みや、まちがった信念で、いとも簡単に道を踏み外してしまうものです。」 と答えている。(死刑ルポ、71ページ)
同じく、地下鉄サリン事件など10事件で14人に対する殺人罪に問われたオウム信者で、真理教の幹部、井上嘉浩死刑囚は、「何という恐ろしく 取り返しのつかないことを しかも救済すると信じてやってしまったのだと、例えようのない苦悶の波におそわれます」と書いている。(死刑ルポ、71ページ)
多くの未熟な若者たちが、宗教ドグマや、共産主義イセオロギ―に洗脳されて、取り返しのつかない人生を送る羽目になったことは、別の時にも書いた。
未熟であるが故に彼らは、白紙にインクが染みわたるように、素早く見事に洗脳のエジキにされてしまった。オウム真理教の幹部には、有名大学出身のエリートが多かったそうだ。みな、人生経験の乏しい未熟な若者たちだったと思う。
学生運動では、100人以上が個人テロで殺されたり、数千人が障害を受け、不幸な人生を送る羽目になってしまった。極めつけは、「あさま山荘事件」「山岳アジト事件」だろう。
このオウム真理教の信者、宮前(旧姓:岡崎)一明死刑囚や、オウム真理教の幹部、井上嘉浩死刑囚のコメントは、そのまま、あの未熟な日本赤軍、連合赤軍の若者たちにも共通するモノであり、彼らが犯した重大な人権事犯(殺人事件)は、(取り返しがつかない)モノであった。
よくテレビなど見ていると、加害者が「殺すつもりは無かった・・・」という言い訳の多いことに気が付くが・・・そもそも犯罪は、加害者の意図で裁かれるモノではなく、その結果についてのみで、裁かれるモノではないだろうか?
殺された被害者にとっては、加害者の意図などは、関係が無いのであって、自分の存在が抹殺されたことのみが、最重要事なのだから・・・殺された死者が、口を利くことはできなきけれど、生きている我々にはわかるハズだと思う。
加害者の言い訳で、裁判が進めらたとしたら、殺された被害者は、たまったモノではないだろうな・・・と思うのだ。 死刑維持・廃止とは、そういう問題なのだ・・・
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最終更新日
2024.02.11 00:56:34
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