カテゴリ:日記
おふくろが亡くなってから「喪」の無い日々が始まった。僕には「喪中」という認識は無い・・・・・ それは(こころ)の問題だから・・・ 2023-12-5 はんぺん 故人に対する各人の思いは、外面でなく、こころの問題であるべき・・・・
「喪に服する」という言葉がある。 「喪」・・・・喪(も)とは、身近な者や心を寄せる者、尊ぶべき者等の死を受けて、それを悲しむ者が一定期間中を過ごすことになる、日常生活とは異なる儀礼的禁忌状態(ウイキペディア)であり、この期間は慶事への参加、慶事を執り行うことを控えるとされてきた。
ウイキペディアでは・・・ 正月・・・・ 年賀状(喪中葉書を送付するなどして喪中欠礼挨拶を行う) 正月飾り(連縄・門松・鏡餅など)をしない(飾っている間に身内が亡くなると飾りを外す) 御節料理を食べない(特にめでたい意味を持つもの) 初詣に行かない(神道では、死は穢れとされているため、その穢れを持ち込まないようにとの意味合い) 慶事への出席・・・・結婚式・クリスマスパーティー・忘年会・新年会等への参加などを中止する 慶事を執り行うこと・・・手続きとしての入籍は可能だが、結婚式は中止または延期が望ましい 殺生を行うことを控える
・・・・ということだった・・・こういう習慣は、今後、消えていくものと思われる。今でも「喪中はがき」を出す人たちがいるが、僕は、こんな時間があれば、他のことに使いたい・・・・・・忙しい現代社会では、何ごとも、簡略化されていく。
そこで思うのは、あの独裁国家の北朝鮮だ。金日成、金正日の死去の時、長期間の服喪が、全国民に強制された。(偉大な将軍)の追悼のための服喪期間は、数年に及んだというから、権威主義国家の恐ろしさは、筆舌に尽くせない・・・
北朝鮮のマルクスレーニン主義(共産主義)は、(主体思想)だと言われているが、共産主義でも何でもないことが、よくわかる。 権威に歯向かうものは、粛清あるのみで、歴史的に繰り返されてきた(全体主義)(独裁国家)と瓜二つだったのだ。
日本のリベラルたちが、この北朝鮮の(社会主義=主体思想)の人権抑圧に見て見ぬ振りをしてきたことは、何度も指摘してきたが、その2枚舌が、彼らの没落の最大要因だった。
それにしても、旧ソ連や北朝鮮などでは、主要な街中には、必ず、バカでかいスターリン像、レーニン像、金日成像、金正日像が、作られ、国民を見下ろしていた。奈良の大仏と同じで、バカでかさで、権威を保持するということだが、独裁者に操られる庶民には、救いが無いように思えるのは、僕だけだろうか?
ソ連崩壊後のロシア時代、たまたま海外山行ツアーで、カムチャッカ半島に行ったとき、そこの首都ペトロパブロフスク・カムチャツキーの街中に、レーニン像があって、驚いたし、アバチャ山頂( 2,741 m)にも、レーニンの銘板が、あった・・・・ 権威主義は、国家の隅々まで、沁み込んでいたのだった。
旅の思い出②(記録用)・・・今も昔も山行は、やめられない 2022-2-14 (はんぺん) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.06 14:28:55
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