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あの時代の僕・・・人は変わるもの、変わらなければならないもの・・・それが、進歩ということだ! 2024-5-10 はんぺん 人間は、その成長とともに、必ず、変わる・・・というか、変わらなければならない、成長とともに・・・それが、進歩というものだろう。 あの右も左も分からないままに、過ごした中学校~高校時代・・・人生経験も乏しく、周りの流れに翻弄されまくっていた日々・・・・
昨年、100歳で、亡くなった僕の実母は、(教育ママ)の典型で、長男の僕は、その最大の標的だった。 (受験戦争)という(重し)の下で、僕たちは、もがいていた・・・・ 小学校では、親の方針の下で、僕は、(習字)(絵画)(そろばん)の3つの塾に、通っていた・・・というか、通わされていた。自分に選択権など、あるハズもない年代だ。(今から、65年ほど前の話だ)
中学校の進学では、両親の指示で、大阪市内の進学校に、近鉄電車で(越境入学→通学)することに・・・。 この(越境問題)は、部落差別問題との関りで、その後、大問題に発展して、(禁止)されることになっていく。 僕たち兄弟の進学時期は、禁止が厳密に実行される前で、我が家の場合は、両親が、(手をまわして)住民票を大阪市内の知人宅に移動させて、偽の大阪市民を、でっち上げたわけだ。
自身での判断ができる年代でもなかったため、ほとんど(親の言いなり)で、決められていった。 (受験戦争)の弊害は何か?と、よく議論されるようになったのは、高校生になってから。 僕の入学した高校は、自由な雰囲気があり、生徒の自主性が比較的認められていたので、生徒の服装の是非や政治問題などの活発な議論が、展開されていたため、僕は、人生観では、大きな影響を受ける事になっていく。
とりわけ、高校2年生の時、クラスのN君から、(ベトナム戦争反対)の強烈なオルグを受けて、次第に目覚めていくことに・・・。N君は、当時は、民青同盟員で、よく民青の政治集会やデモにも誘われて参加し、政治的自覚を高めながら、独り立ちに向けての行動にも自信を深めていった。
繰り返すが・・・・人間は、その成長とともに、必ず、変わる・・・というか、変わらなければならない・・・成長とともに・・・ 受験戦争の最中の僕と 大学入学後の僕は、天と地ほどの変化が、あったことは、間違いない・・・・僕は、(一人立ち)ができるようになったのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.08 15:17:35
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