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カテゴリ:意識
以下は、昨日、夢のように通り過ぎてしまいそうな感覚だったので、 ******** 歩きはじめて少し経ったころ、自分が主体のような、 自分がここにある、という感じがしたら すぐに富士山に登っている自分が感じている感覚と同化していました。 気合いが入っていたり、頑張らなくちゃというものでなく この今の自分が感じている感覚と重なっていました。 うん、悪くない 自分がここにいる。手足は勝手にどんどん動いていく。でも自分はここにいる。 支離滅裂。(ですね) 山に入ると、いつも最初はお邪魔させていただく・・・そんな感じがします。 木々が目に入り、色んなものを見て、においを嗅いで、音を聞いて、いろんなことを感じます。 でもそのうち、歩いているうちにお邪魔させていただいている自分がどんどん主体になってきて、 山の中にいる自分、というより私のまわりに木々がある、 そのうち自分とまわりのものとの境目がなくなってくるような感じがします。 でも自分がここにいるということはちゃんと分かっていて・・・
それとも似たような感じです。 今朝も歩きはじめは、土手がアカツメクサでいっぱいになっているなぁ、とか いろんな虫の声がするなぁ、なんて思いながら歩いていたけれど、ふと自分が主人公になっていました。 内側の密度がひろがっていって、まわりの存在が少し薄らいで、そのうち混ざり合っていくような。 胸に耳をあてたときに聞こえてきた、夫や娘や息子の心臓の音、 それを聞いたとき、「生きているんだなぁ」「繊細で壊れてしまいそう」 生きているということを感じたときの感覚と似ているかもしれません。
今日、目に留まった「水源のない川はない」という言葉が脈絡もなく浮かんできて、 その感覚と勝手に結びつきました。
最近ときどき感じる感覚・・・体の表面を覆っている薄い層が、あたたかくて、さらさらしているのです。 それで、体の中にスペースがあって、何か活発な動きがあるような。 歩いていると自分が熱源のようになるのも、 歩く→血の巡りがよくなる→体がぽかぽかする→気持ちがよい→体にもよい・・・などと思っていたけれど、 体の反応とか、働きについても仕組みは分かっていたけれど 熱を生みだしている自分、ここにいる自分を感じたのです。 途中雨が降り出して、でも冷たいとも気持ちがよいとも何も感じなかったから、 熱を生みだし、体が動き、ここにいる自分をよけいに内部から感じたのかもしれません。 ****** だいぶ、支離滅裂な文章になってしまいました。 でもなんだか、分かったようで分かっていなかったようなことが、分かった感覚がしたのです。 そして、昨日もそのあとはいろいろな用をこなして、普段通りの生活に戻っているのですよねぇ。
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