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カテゴリ:自然
今日、「Eco Pure」という環境マガジンを読んでいたら、かなり感覚を刺激されるエッセイに出会いまして・・・、いろんなことをわーっと思い出していたんです。
小さいころ、また大きくなってからも自然の中で味わった感覚というのは、とても強く印象に残っているんですね。そんな感覚がわーっと押し寄せてきて、懐かしいような、気持ちの良い気分にしばらく漂っていました。 小さいころ家の庭でアリの巣をほじって、アリが慌てて卵を運び出すのを興味津々で見ていたこと。 庭の山椒の葉っぱにアゲハ蝶の黄色い卵を見つけて、そして幼虫も見つけて幼虫が出す角を触って指の匂いを嗅いだこと。 庭の椿の下にいって、この種からお母さんも使っている「椿油」ができるのかぁと不思議に思いながら見上げていたこと。 植物が成長していくのがすごく不思議だなぁと思いながら眺めていたこと。 柵にからみついた「むかご」の実を正孝おじさんがとって、甘辛く煮たのを一緒につまんだこと。 私が生まれ育ったのが東京の田舎だったので、まわりに林やら原っぱや、竹藪、畑があって 季節季節のはっとするような風景に見入ってしまっていたこと。 今でも鮮明に思い出せるくらい、それぞれがの景色が染みこんでくるように優しい美しさだったのです。 仲良し組とのお気に入りの場所は原っぱや、それからつつじがいっぱい咲いている場所の真ん中にある小さな木の木陰でした。その木陰がちょっと盛り上がっていて座るとちょうどよい座り心地で、そこに座ってつつじの花の蜜を吸ったなぁ。 ほんとにとろけるような思い出^^ そしてOLになっても、朝、自転車で駅まで行く道すがらや、帰りの夜の道に目に入るのはただただ見入ってしまいたくなる景色でした。空はいつも感動させられる景色の一つで、いつか空の写真集を出したいな、なんてことを考えてました。 それと・・・ものすごく刻み込まれているのが夏になると行っていた九州のおばあちゃんちでの思い出。幼心にも着くたびに「空気が光ってる!」と思ったものです。 目に鮮やかな世界で、おばあちゃんが目の前の畑で作ったトマトは・・・ 真っ赤で、大きくて、あたたかくて、ほんとうに美味しかった!なんだか縁側で食べたその記憶がこんなに時間が経っても心の中で輝いてしまっているんですよね~。 近くの湧き水が出ているところに冷やしておいたスイカをとりに行ったり・・・ いとこと探検したあの道の草の感じや、へびイチゴや苔や、土やしめった石やいろんなものがこんなにもはっきりと、ちゃんと記憶の中にしまい込まれているのが不思議です。 心のカメラがちゃんと記録しているんですね。 思い返していると、どっぷり幸せ感が蘇ってくるようなそんな世界でした。 結婚して、市で借りた畑で野菜作りを始めたのも、あのトマトを思い出したから。 結局はあんなトマトは作れなかったけど。 でもおばあちゃんに聞いたとおりに、家ででた野菜屑を土に埋めておいたら・・・ しばらくして掘ってみると野菜屑が消えて土になっていたのは、ほんとうに衝撃でした。 いのちが循環しているということを感覚的に分かった瞬間だったかもしれません。 それから山に行くようになってから、しばらくしてどうしてこんなに土が好きなんだろうと思うくらい土に魅せられてしまいました。 森の中で柔らかな土を触っているときの満たされた気持ち。それはベランダで土をかき混ぜているときも同じで・・・。 でも今日のエッセイを読んでいて、なんだか繋がった気がしました。 いえ、前から分かっていたことなんだろうけど。 エッセイの中ではこんな文章がありました。 「土に種を蒔き、そのうえに私たちの体から排出された糞尿を肥料として与え、そうやってすくすくと育った野菜をたべていた。だから私たちは自分と土がつながっていることをあたりまえと感じていた。」 きっと美しいもの、心地よいもの、そういったものは途切れない循環の中にあるんだと思います。 私の記憶に残っているものはその循環の断片で、なにもかもが当たり前のことを繰り返していたその中のほんの断片だったのだと思います。 土にしてもその循環の中の一つで、命をたくさんふくんでいるから、 なにか小さいころから経験してきたいろんなことが重なり合って、土を触ったときの満たされた気持ちを生みだしているのかもしれません。 今日読んだ「Eco Pure」はEMと環境学習についての特集をしていて、 その中で出てくる数多くの学校での話しも子ども達が食べ残した給食で堆肥を作り、 その堆肥で野菜を作るという「循環」を実体験しているようです。 じんとくるようなレポートもあったので、またそれについても書いてみたいな^^と思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.22 23:58:54
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