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カテゴリ:意識
新しい年が明けてから、少し日にちが経ってしまいましたが
「新年、明けましておめでとうございます!」 夫から、『国家の品格』(藤原正彦著)という本を薦められて読み始めたら、 この本の影響で日本の名作と言われるものを非常に読みたくなってしまい、 読んでみたらばまさにこの本にあるような、かつての日本人の品格というものがしっかりと存在していました。 かつての日本・・・昭和の初めくらいまでは、長期滞在した外国人が一様に絶賛するほど素晴らしい国だったようです。 「自然への感受性や美を感じる心という点で日本人に勝る国民はいないでしょう」や 「日本に数ヶ月も滞在していると、どんな外国人でも自分の国では道徳的教訓として重荷となっている善徳や品性を日本人が生まれながらにして持っていることに気づく。 最も貧しい人々でさえ持っている」 などの言葉の通り、日本人は特有の繊細な自然に対する感受性や、道徳心(武士道精神)を持ち尊敬されていました。 繊細な自然に対する感受性を育んだのは日本のはっきりとした四季であり、台風や地震、洪水など1年を通じての自然の脅威でした。 そんな「悠久の自然と儚い人生」という無常観が虫の音に感じ入るような感性や、潔く散る桜の花へ人生を投影したり、紅葉を愛でる感性をつくっていったのでしょう。 さらに、俳句なども自然と心を通わせる、もののあわれという感性から発達したようです。 このような感性は世界中の誰もがもっているものなのでしょうが、特異な風土が生み出したものらしく、日本人がとりわけ鋭いようです。 お茶にしてもお花にしても中国から入ってきた字にしても、日本人は茶道や華道や書道という芸術にしてしまう。文学作品を見ても、洗練された文化をもっていました。 そして日本人の持つ道徳心・・・武士道(慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気)は町人や農民にまで行き渡っていました。 庶民から尊敬されていた江戸の武士は権力と教養はもっていたものの、お金はもっていなかった、金銭よりも道徳を上に見るという精神性の高さに外国人からも驚かれています。 そして精神性の高さが日本という国の品格を作っていたようです。 そう、こんな話しもありました。江戸時代末期の識字率は50%で(近代的なロンドンでも20%だったのに)アメリカやイギリスは日本の開国当時、植民地化しようと思えばできたのに、江戸の町に来て、町人があちこちで本を立ち読みしている姿を目の当たりにして 「とてもこの国は植民地にはできない」と諦めてしまった、そうです。 品格がある国だったから、植民地化されずに済んだのかもしれません。 けれども今の日本は羨望はされても尊敬される国ではなくなってしまっています。 藤原さんは言います。国際人を作るなどと言って、小学校から英語教育をするよりも国語をしっかり勉強させなさい。表現する手段よりも表現する内容を整えるほうがずっと重要だ、と。 とにかく国語。一生懸命、本を読ませ、日本の歴史や伝統文化について教え込むこと。 それから・・・いじめがあるからカウンセラーを置くんではなく、「大勢で一人をやっつけることは文句なしに卑怯である」ということをたたき込まないといけない。 卑怯を憎む心(武士道精神でもある)を育てるには家族の絆が必要だ、と。 美しい情緒、武士道精神からくる形を身につけることで、それが国家の品格となり品格の高い国に対して世界は敬意を払い、必ず真似ようとする、それは文明国がみな苦悩している荒廃に対する解決策だと思える、とおっしゃっています。 これを読んで、私は親から学んだようなものを子どもに渡せているんだろうか、と思いました。 少しでも子どもの中に大切なものを残せるような親でいたい、ととても思うのでした。 それとやっぱり多くの美しいものを見せてあげたい! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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