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2005.09.15
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カテゴリ:私の両親のこと
母親は昔から精神的に不安定だった。
1回流産して、私の弟になるべき子は死産だった。
昔だから設備も整っていなかったのだろう。
畳に寝かされている、弟を私も見た。4歳だったかな。
その後ぐらいから、母は情緒不安定で、私はしばらく親戚の家に預けられていた。

小学校の時何かでキレた母親が、私の顔を思いっきり鏡にぶつけて、目のまわりが青アザになったことがある。
学校で先生に聞かれても「遊んでいてこけたから…」今なら問題になるかもしれないが。

一回廊下に灯油をまいたこともある。
家に火をつけるって。父親が浮気をしていたのが原因だ。
父親の浮気の証拠の手紙を見せられたこともある。

小さい時に、暗い町を母親とアテもなく歩いたことも一度や二度じゃない。

結局、母親は厳しい祖母に頼ることもできず、相談できる兄弟もなく、自分勝手な父親に振り回された犠牲者なんだと思う。
そしてその不満、うっぷんの吐けぐちにされたのが私なのだ。

子どもの時の生きる力は「いつかはこの家を出るんだ。」だった。

でもそんな母親も、かなり歳が離れた末の妹にはそんなことはしていない。
経済的にも精神的にも落ち着いた頃だからかな。
だから妹は「お姉ちゃんがそんなことをされていたって知らなかった」と言う。

長年積み重なっていった父親への恨みは、この歳になっておさまるどころか、倍増していっているように思う。
一つ家の中で、この関係はきついだろう。
だからあの時離婚してって言ったのに、別れる勇気も気力もなかった母親を責めるのは簡単だけど、時代も離婚は許さなかったのだろう。

でもいい加減自由にしてほしいと思う。
私は私で頑張って生きて行くから…って、言えるものなら言いたい。
でも私は見捨てることはできないのだ。
あんな親でも愛情はあるのだ。





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Last updated  2005.09.15 08:18:16
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