カテゴリ:私の両親のこと
偉そうなことを言っているわたしだが、自分の親はほったらかしなのだ。 お盆も帰っていない。 仕事だったこともあるが、無理して帰ろうと思えば帰れないことはないのだ。 テレビで熱中症のことを盛んに言いだすと、両親は大丈夫か不安になる。 エアコンを入れるように言ってもきかない。 病院ももっと近くに変えてほしいと言ってもきかない。 要介護の認定を受けるように言ってもきかない。 娘の言うことは何一つ聞いてくれないのだ。 だから好きにすればなんて気にはなれない。 気がかりで、寝苦しい夜は大丈夫かと気なって仕方がない。 でもほったらかしなのだ。 利用者さんのことをあれだけ心配するのに、自分の親はほったらかしかと、自分で偽善者かと思うときもある。
これは言ってはいけないことだけど、妹たちは近くに住んでいるのだから、もっと・・・とつい思ってしまう。 一人は仕事もせず、ダンナさんの稼ぎでやっているのだから時間の余裕はあるはずなのに・・・と思ってしまう。 でも妹にしたら、時間の余裕はあっても気持ちの余裕がないってことなのでしょうね。 それもあの両親のことだから分る。 妹にしたら、逆に私が仕事で帰れないって言うのは言い訳にしか聞こえないのかもしれない。 でも無理はしないことにした。 親が近くに頼るものもいなければそうは言ってられないと思うけど、とりあえずは妹たちがいるのだから。 バスと電車を乗り継いで行くしんどさよりも、行けば不安になることが目に付きすぎて、それから目をそらしたい自分勝手な理屈の方が大きい気がする。 妹にももっとこうしてあげてと言いたい思いにかれらる。 でも前に、たまに来てゴチャゴチャ言わないでと喧嘩になってからは自分の思いは封印したのだ。 確かに今の私は部外者だ。 でも親を思う気持ちはある。 いつもこのはざ間で悶々とする。 利用者さんのことを思って何かをするたびに、自分の親は・・・とやりきれなくなる。 近くに住んでいればとつくづく思う。 そう思う反面、別居も離婚調停も何一つ相談できず、全てが終わってから報告をしなければならない親だから、どこかに私は私で頑張ってやっていくからと切り捨てたのかもしれない。 イヤ切り捨てられないから悶々と悩むのだ。 非情にもなれない、でも優しくもない。 私はDさんの孫と同じかもしれない。 目の前のことを見えないフリをしているのだ。 Dさんの家族にしたら、歩行もおぼつかないのに一人で出かけて、世間体がみっともないの思いがあるのかもしれない。 私はDさんと関わっているから、Dさんの思いが分る。 そして自分の親になると、私は家族の立場でしか見えなくなるのだ。 親の思いよりも娘の立場になってしまうのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|