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カテゴリ:些事
ありがたい仏典のお話を
俗にまみれた私がうろ覚えで語ってみる。 最近、ちょっと、パワーが足りない。 パワーが足りないのは、 五濁悪世だからだなあとか思ってみる。 釈尊が生きている正法時代 釈尊が亡くなってまだ威光が残っている像法時代 これらの時は、まだ、世の中は人の良心がはたらいていた。 しかし、釈尊の威力も消える末法の時代に突入すると 人々は争い始めるのですよ。 その、根っこにあるものは「不信」。 他人を信じられず 自分を信じられず 疑ってかかるればかかるほど 悲しい結末が訪れるのになあ。 でも私も自分を過小評価しすぎているきらいがあり、 それは要するに自分への不信だったりするわけですが。 自分を信じられないと他人を疑い始めるので よろしくありません。 他人を疑うと妙なところにパワーを使うので疲れます。 さらに悲しくなるのでいけません。 ------------ たくさんの人をまとめるのには二つの方法があります。 ・尊敬の念 ・憎しみ、卑下の念 憎しみや卑下の念で人を束ねるのは簡単です。 かつてナチスがユダヤ人弾圧をしたのが典型的なそれです。 しかし憎しみや卑下の念でまとまる人々は、 悪意のベクトルの向きは同じですが、 生産性のある目的がそこにないため、 いつかは団結しているように見える人々が互いを疑い始め、崩れていきます。 尊敬の念で人を束ねるのは、リクツでは簡単です。 統率者となる人が、皆に尊敬されるに値するよう 日々自分を磨いて行きさえすればいいからです。 そして、邪なものの見方をする人に なんと言われようとも揺るがない信念を持っていればいいだけなのです。 でも私たちは 自分を磨いていくことが一番難しいこと、 他人の評価を気にしてしまうこと、 そういう側面があることをよく知っています。 「人間は苦境に負けるのではない。 自分自身に負けるのだ。」 自分を、人を信じていくことが この世で一番難しく この世で一番尊いことだと 思えてしょうがない今日この頃です。 いやー… ←1日1クリック☆ありがとうございます →むらかみメルマガ保存庫はこちら← お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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