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カテゴリ:些事
自分がだれかにやっていることって
自分が誰かにやってほしいことなのかもしれない。 …と、ふと、思いました。 とくに、善意で、やってることって 裏を返すと無意識に望んでいることなのかもしれないな、と。 小さな一歩でも、うれしい!すごい!よくやった!と人をほめている自分は 小さな一歩でも、ほめられたいのかもしれないなあ。 いえ、小さいけれど、一歩踏み出したことに 気づいてもらいたいのかもしれません。 自分が善意でやっていることは 誰もがやっていることだと思ってしまうので いけません。 価値の基準は人それぞれなのだから 自分の価値観を人に求めてはいけないというか。 だから、だれかの行動や発言を受けて、 ちょっと含んだものの言い方があったときに この人は私を非難しているに違いない、と、 それも自分がいたらないからなのだと思いこんで、 自分を追い詰めているのも、 結局は自分の価値観でその人を見ているから その人にそう思われてるんじゃないかって、なってしまうんでしょうね。 そんな人と出会ったとき 「あの人そんな風に思ってないよ、大丈夫だよ」と かつて、なだめてくれた相手は、 今ではもういません。 そんな人と出会ったとき 「あなたは間違ってない!大丈夫だからっ」と かつて、激励してくれた相手も、 今ではもういません。 いろんな状況の変化で、 疎遠になってしまった人間関係があるのですが。 でも、ありがたいことに、 必ず、支えてくれようとしてくれる誰かが、 どこかのタイミングで出てきてくれる。 そして、今もまた、支えてくれようと、 私のためにどうにかしてあげたいと、 悩んでくれる人がいて、 その心に私は、 今はただただ、感謝するのみなのです。 (そんなにも悩んでくれるのに、私自身がなかなか心を立て直せず くすぶっていることを申し訳なく思うのですが) また、同じく、こんな私に 「幸せになってほしい」と言葉にしてくれ、 不条理には共に首をかしげ 「幸せになってほしい私としては~」と ご自分の意思を伝えてくださる、姉のような人もいて、 どれだけ私は周りに恵まれているのだろうと、思う。 が、時々やっぱり 攻撃的な言葉のとげが私の胸を貫くと そのことでいっぱいいっぱいになって、 支えてくれたり、励ましてくれたりする人たちのことが ぽーんと頭から抜けてしまう。 言葉のとげは、気にしないように、 気にならないように、自分が強くならないとですね。。。 ←1日1クリック☆ありがとうございます →むらかみメルマガ保存庫はこちら← お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.06.20 00:49:56
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