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カテゴリ:些事
8月6日広島原爆忌
8月9日長崎原爆忌 そして、8月15日終戦の日。 私は自分が通っていた小学校の平和教育は 非常に革新的だったと振り返る。 丸山先生ありがとうございます。 たとえいかなる理由があろうとも 戦争という手段は選択をしてはいけない。 また、一瞬にして何千万もの人の生命を奪い去る原水爆など用いてはならないのだ。 誰人にも、人の生命を蹂躙する権利など、ないのだ。だ。だ! どんな人だって、誰かの大切な人なんです。 「コイツ、むかつく!!」と主観で思う相手はもちろん私にもいますが でもそんな人だって、誰かにとってはかけがえのない大切な人なんです。 誰かが、誰かの、支えになっているし 誰もが、誰かを、支えている。 …と、思ってる。 いつも涙を流してきたのは、女性だ。 とりわけ母親だ。 これからの時代、女性が学を修し、知恵をつけ、力をつけ 世の中に飛び出していかなくてはならないと、 そんなことを思うのです。 が、当の私にはまだまだ知恵も力も足らないのが情けないところです。 極端な話をすると、当時「戦争」という外交手段を選択したのは政治です。 ちら見したテレビで、マニフェスト選挙は 有権者に責任が大きくかかってくるの云々といっていたが、 民主主義の世の中で、有権者が責任を持つのは当たり前の話である。 マニフェスト選挙だとかそういう以前の問題である。 自分たちの代表を国会に送り出すのだから、 自分がその一票を誰に投じるのか、どこに投じるのか、 あるいは権利を持っていながら行使しないのか、 すべてが自己責任だと思うのだ!だ!だ。 投票に行かない人が政治をけなしていると、癪に障る気の短いむらかみです。 投じた人にしか、良い悪いを語る資格はないのだ、だ、だ!と思うのだ。 政治不信のせいにして選挙に行かないというのは本末転倒だーーーー。 私も政治評論家じゃないし どっかの政調会長でもないし 詳しくわかるわけじゃないけど それでも自分なりにちゃんと考えなくてはと思っているのです。 戦争時下、国民の士気を煽り立てたのはマスコミである。 戦争反対を唱えれば犯罪者。 世の中の常識は、ふつうは、そのときの大数意見で決まる。 メディアに煽られて自分が流されてはいけない。 大人数を殺して英雄になるよりも たった一人でも戦争に異を唱えて殺される方が まともな感覚だ。 ふつうじゃなくても、まともでありたい。 そう「まとも」さを通せる凛とした勇気と、 正しいものを見抜ける聡明さを持ちたいものです。 ----- 私には、妹のようにかわいい女子がいるのですが、 そのうちひとりの女の子のおじいさまがご逝去されました。 今夜は本通夜とのこと。 行って参ります。 通夜や葬儀、お盆や彼岸の追善法要も、 故人のため・ご先祖様のためであると同時に 今を生きている人のため、なのだなあと、毎回思います。 ←1日1クリック☆ありがとうございます →むらかみメルマガ保存庫はこちら← お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.08.15 14:02:39
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