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カテゴリ:イースター / Easter
Happy Easter!
ご復活おめでとうございます㊗️🎉 今日は復活祭でした。 世界中で盛大なミサや礼拝が行なわれ、教会では年に一番訪問者が多い日!クリスマスよりすごい日なんですよ〜〜✨そのためか、私のブログにも今日一日で680件以上のアクセスがあります。まだ一日が終わっていないので、まさかの一日千人超えなるか⁈(笑) 今日というイースターは、「クリスチャンは、そんなことを真剣に信じてるのか⁈マジで⁈」という日です! イースターは何をお祝いする日なのかと言いますと、イエス・キリストが十字架に架けられて死んだ3日目に死からよみがえった、その死からの復活をお祝いする日なのです! そんな死から生き返ったなんて…と私も信じられない時がありましたが、神様の存在を知るにつれ、神様にはそんなこともできるだろうな、と考えるようになり、また、神様から信じる信仰も与えられ、イエス・キリストの復活をお祝いする者となりました。 ちなみに、キリストの弟子たちでさえ!死からの復活を疑いました!ですから、疑っていても、不思議ではありません。不信仰や疑いくらいではキリストの復活の事実は払拭できないのです。すんまそん。 話がそれましたが、この復活なしには救いはないんです。この死からのよみがえり、復活で、神の救いのご計画は完成しました。 キリストが死からよみがえったことにより、キリストは死に打ち勝った。そして、復活から40日後に天に登られた。ゆえに、キリストはもう死ぬことはなく、永遠に生きられます。 そして、キリストを信じる者には、その永遠の命を与えてくださいます。キリストは私たちの罪を受け取り、キリストは替わりに永遠の命と、キリストの義とを私たちに与えてくださいます。また、神の子としての特権も与えてくださるのです。 ではイースターを直接聖書からご覧ください。 素晴らしいのは、キリストを死から復活させた神の偉大なる力が、クリスチャンにも宿っている、というこの真実!わお!神様の力がある、生き方をしよう! キリストのよみがえった新しい命により、あなたにも新しいスタートが可能です!約二千年前、キリストは本当に死からよみがえったからです!子供も、大人も、キリストにある新生活、 始めてみませんか?o(^-^)o “日曜日の明け方早く、待ちかねた女たちは香油を持って墓に急ぎました。着いてみると、どうしたことでしょう。墓の入口をふさいであった大きな石が、わきへ転がしてありました。 中へ入って見ると、主イエスの体は影も形もありません。 「いったい、どうなってるのかしら。」女たちは途方にくれました。すると突然、まばゆいばかりに輝く衣をまとった人が二人、目の前に現れました。 女たちはもう恐ろしくて、地に伏したまま顔も上げられず、わなわな震えていました。その人たちは言いました。「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。 あの方はここにはおられません。復活なさったのです。まだガリラヤにおられたころ、何と言われましたか。メシヤは悪者たちの手に売り渡され、十字架につけられ、それから三日目に復活する、と言われたではありませんか。」 そう言われて女たちは、はっと思いあたりました。 そして、すぐさまエルサレムに取って返し、十一人の弟子やほかの人たちに一部始終を話しました。 そのとき墓へ行った女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナ、ヤコブの母マリヤ、そのほか数人でした。 ところが、男たちには、この話がまるで物語のようで、とても現実のこととは思えません。だれも、まともに信じようとしませんでした。 しかしペテロは、それでも一応は確認しなければと墓へ行き、身をかがめて中をのぞき込みました。すると、どうでしょう。亜麻布のほかに何も見あたりません。それで、この出来事に驚いて家に戻りました。 この同じ日曜日のことです。二人の弟子が、エルサレムから十一キロほど離れたエマオという村へ急いでいました。 二人が道々話し合っていたのは、イエスの死のことでした。 そこへ突然、当のイエスが近づき、彼らと連れ立って歩き始めました。 しかし二人には、イエスだとはわかりません。神がそうなさったのです。 イエスが尋ねました。「何やら熱心にお話しのようですね。いったい何がそんなに問題なのですか。」すると二人は、急に顔をくもらせ、思わず足を止めました。 クレオパというほうの弟子があきれたように、「エルサレムにいながら、先週起こった、あの恐ろしい出来事を知らないとは。そんな人は、あなたぐらいのものでしょう」と言いました。 「どんなことでしょうか?」「ナザレ出身のイエス様のことをご存じないのですか。この方は、信じられないような奇跡を幾つもなさった預言者で、すばらしい教師でもあったのです。神からも人からも重んじられていたのですが、 祭司長やほかの宗教的指導者たちは、理不尽にもこの方をつかまえて、ローマ政府に引き渡し、十字架につけてしまったのです。 私たちは、この方こそ栄光に輝くメシヤで、イスラエルを救うために来られたに違いないと考えていたのですが。ところが、話はそれで終わらないのです。弟子仲間の女たちが、なんとも奇妙なことを言いだしたのです。処刑があった日から、今日で三日目になりますが、今朝がた早く、その女たちが墓へ行ったところ、イエス様のお体は影も形もなかったというではありませんか。しかもその場に天使が現れて、イエス様は生きておられると語ったとか……。 その話を聞いて、仲間のある者たちが墓へ駆けつけて確認したのですが、彼らも口をそろえて、墓は空っぽだったと証言しているのです。」 「ああ、どうしてそんなに、心が鈍いのですか。預言者たちが聖書に書いていることを信じられないのですか。 キリストは栄光の時を迎える前に、必ずこのような苦しみを受けるはずだと、預言者たちははっきり語ったではありませんか。」 それからイエスは、創世記から始めて、聖書(旧約)全体にわたって次々と預言者のことばを引用しては、救い主についての教えを説き明かされました。 そうこうするうち、エマオに近づきましたが、イエスはまだ旅を続ける様子です。 二人は、じきに暗くなるから、今晩はここでいっしょに泊まってくださいと熱心に頼みました。それでイエスもいっしょに家に入りました。 食卓に着くと、イエスはパンを取り、神に祝福を祈り求め、ちぎって二人に渡しました。 その瞬間、二人の目が開かれ、その人がイエスだとわかりました。と同時に、イエスの姿はかき消すように見えなくなりました。 二人はあっけにとられながらも、「そう言えば、あの方が歩きながら語りかけてくださった時も、聖書のことばを説明してくださった時も、不思議なほど私たちの心が燃えていたではないか」と語り合いました。 そして、すぐエルサレムへ取って返しました。戻ってみると、十一人の弟子たちやほかの弟子たちが迎え、「主は、ほんとうに復活された。ペテロがお会いしたのだからまちがいない」と話していました。 そこで二人も、エマオへ行く途中イエスと出会ったことや、パンをちぎられた時にはっきりイエスだとわかったことなどを話しました。 これらの話をしている時、突然イエスが現れ、みんなの真ん中に立たれたのです。 彼らは幽霊を見ているのだと勘違いし、ぶるぶる震えました。 「なぜそんなに驚くのですか。どうしてそんなに疑うのですか。 さあ、この手を、この足を、よくごらんなさい。わたしにまちがいないでしょう。さあ、さわってみなさい。これでも幽霊でしょうか。幽霊だったら、体などないはずです。」 イエスはそう言いながら、手を差し出して釘の跡を見せ、また、足の傷もお示しになりました。 弟子たちは、うれしいけれども、まだ半信半疑です。心を決めかねて、ぼう然としていました。それでイエスは、「何か食べ物がありますか」とお尋ねになりました。 焼き魚を一切れ差し上げると、 イエスはみんなの見ている前で召し上がりました。 イエスは言われました。「以前、いっしょにいた時、モーセや預言者の書いたこと、それに聖書の詩篇にあることは、必ずそのとおりになると話して聞かせたはずです。忘れてしまったのですか。」 イエスが弟子たちの心の目を開いてくださったので、彼らはやっと理解しました。 イエスは、さらに続けられました。「キリストは苦しめられ、殺され、そして三日目に復活することが、ずっと昔から記されていたのです。 悔い改めてわたしのもとに立ち返る人は、だれでも罪が赦されます。この救いの知らせは、エルサレムから始まり、世界中に伝えられるのです。” ルカの福音書 24:1-47 JLB お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.04.17 08:27:32
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