♪ 快晴の空 金星へ突き抜けて体露金風 地球に遊ぶ
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孫を伴って隣の市の公園へ。真夏の様なカンカン照りだが、風はさわやかで気持ちがいい。気温と鼻腔に届く風に温度差があるのか、カミさんはクシャミの連発。ちょっとした過敏性の鼻炎らしい。
夏には子供たちであふれる人工の小川も、さすがにだーれもいない昼下がり。さっそく入って、恐る恐るの水遊び。循環させているのか、あんまり水がきれいじゃない。底がぬるっとして水藻が生えたりしている。
水生生物が居るわけでもなく、何だか国会議事堂の地下の排水路を歩いているような心持。
まだ筋力がなく、覚束ない感じでジャングルジムやネットを上がったり下りたり。必死感がひしひしと。
煙と何とかは高いところに昇りたがるが、子供には恐れることなく登って行ってほしいものだ。上からしか見えないものもある。
しかし、上から目線でマスコミを睥睨するようなチンケな男にはなって欲しくない。
私の腕立て伏せを真似てやってはみるものの、お腹を上下させるだけでまったく様にならない。それがどういう事さえも分かっていない所が面白い。
遠くで選挙カーが名前を連呼している。そうか、今日から衆院選が始まったのだ。
「ただ単に当選するために右往左往しているような姿を国民に見せるべきではない。大変残念」これは、その原因を作った張本人の安倍晋三の言。ジコチュウの在るべき姿を国民に示して、堂々と胸を張っている貉。
小池劇場もますます狡猾になって、深慮遠謀のうちに世間をたぶらかし、アガサ・クリスティばりの結末を用意して強かだ。
「そして誰もいなくなった」なんてことにならなければいいが・・・。
すべてが矮小化していく世の中ってなんなのだろう。保護主義、自国・自己ファースト、排外主義など、まさに尊王攘夷の王政復古的な様相を呈している。世界中で同時に起こるというとこらがグローバル時代の特徴か。
孫が成人するころ、この国は一体どうなっているのか。孫を見ながら、穢れのない真っ青な空の下で色んな事を考えてしまった、
「体露金風」
秋深まり木々は生気を失い落葉し、早や地上では枯れ葉舞う時節である。この情景を眺めて、ある修行僧、青々と繁っていた樹々も秋になれば紅葉して、樹はしぼみ、晩秋はもの寂しい景色となってしまった。「和尚もこの時節のように大分お年を召されたようですが、近頃はどんな心境でおられますか?と雲門禅師に問うた。
雲門すかさず「体露金風」と答えた。わたしはもう煩悩、妄想の木の葉をすっかり吹き払った秋風のように無心で、すっきりした心境だよ。
見渡す限り晴れ渡った大空のもと、ここちよい秋風が颯々と渡って行く。この清々しい風景を体一パイ楽しむ。そこには是非、善悪、好悪、などの分別心もない。あらわれている真実そのものと一体となった境地。
体露とは、全体露現、赤裸々のまる出しのこと。
金風とは五行説(中国の思想で宇宙の万物はすべて、木・火・土・金・水の五行で成り立っているという)で、秋が金に当たることから、金風とは秋風のこと。
『碧巌録』第二十七則。僧問う「樹凋み 葉落つる時如何」。雲門曰く「体露金風」。
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