♪ 東(ひむがし)のそらと水面につき光(かげ)のたおやかに吾(あ)のこころを賺(すか)す
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N氏は最近腰が痛いと嘆いていて、その対処法など試みながら歩いたりしてるようだ。しかし、直ぐに治るものでもないようで、こりゃあどうも70歳の壁に突き当たったか。いやいや壁というより、大きな段差を踏み外してガクンと落ち込む、あの体力衰えの節目に来たらしい。それも一カ月の前倒しとは情けない。
日時は人を待たず、10日も間が空いてしまったドルシア姫のいる喫茶店へのウォーキング。押っ取り刀でもないひょっこり刀的雰囲気でいそいそと出掛けていった。10日の月曜日に行ったきりで、週一の予定が、間隔はじゅわりじゅわりと空いてゆくばかり。腰痛の原因が、オーバーワークと知ればそりゃあそうなる。鏡に反射した光のように老いた体を虐げる。
よって、往路はとに角ゆっくりを意識して歩く。ゆっくり歩くのに罪悪感を持っている彼は、チンタラ歩くことに慣れていない。12月にしては暖かすぎる、小春日よりも大春日和と言うべき日差しの中、どうしてもペースが上がるのを抑えながら行く。
空に寝ころぶ雲をながめ、草木のまだらな紅葉に目を泳がせ、櫨の実を探す癖が時おり顔を出す。梅林の剪定作業をチラ見し、水鳥の泳ぐ姿をカメラに収め、あの鳥たちは何を食べて冬を越すのだろうか、などと思いめぐらしながら歩く。
彼は、腰を意識してゆっくり歩いている。久し振りのちょいロングウォークなので疲れは隠せない。1時間、約7,000歩で梅の館に到着し、ベンチでしばし休憩をとる。横になって、足をベンチの腕に乗せて休ませる。脹脛を揉んだり、片足を柵に乗せてストレッチのまねごとをしたりして、少しでも疲れをとろうとは良い心がけだ。
給水もして、10分ほどでリスタート。もっとゆっくり休む方がいいんじゃないのか? いやいや、登山でもなんでもあまり長く休むと却って調子が狂うと聞く。何でもよく知っていると言われていた彼は、昔から耳年増だった、が今は、身が年増だ。
昔、公園の池で、ボートに乗っているアベック(古いなあ)に向って石を投げて遊んだことを思い出している。悪い奴らだった。青春とは既成概念を壊すためにある。やってはいけないことをすることが楽しいのだ。なんてことを思いながら、巽が丘の住宅街に向って歩を進める。
前に喫茶店のママさんに聞いた、コンビニのところから入るコースをとった。道なりに行けばいいと聞いている。交差する道は真っ直ぐつき進む。見たことのある場所に抱たりして、なるほどと思って行くが、次々と急な坂が待ち構えている。登っては下りてまた登ること三度。
彼はほとほと疲れちまった。そういえばママさんが言っていた。
「お年寄りには辛いんですよ。一本間違えるととんでもないところへ出てしまいますから。」
坂が大変なのは勿論だが、こういう山を削ってできた住宅街は、道が込み入っているばかりでなく変にカーブしたりしている。斜面が多く、真っ直ぐには通せないのでそうなってしまう訳だ。
喫茶店に着いたら4時を回っていた。佐布里の池から1時間近くかかっていて、ビックリの彼だった。近道どころか難所の山越えの道に、以前はそんな風に感じなかったが、疲れていたので余計に堪えたらしい。こんな所に住んでいる人たちは、歳嵩が増すほどに外出したくなくなるだろう。近所に商店があるわけでもなく、最近できたコンビニも外周道路に出来たものだ。
車が無くては生活できないしバリアフリーの対極にあるような環境では、いずれゴーストタウンになるんじゃないかと、田園都市の一角のこの住宅街を危惧するのだった。
ドルシネア姫が注文を取りに来た。そうだ、運動後30分以内に乳製品を摂るとカルシウムの吸収がよくなると聞いたことを思い出し、「ホット」とにやけながら「ミルク」と繋げた。
カフェオレの次はホットココア、そしてこれだ。喫茶店でホットミルクを頼むオッサンはそうは居ない。何とポリシーのない天然記念物的変態オヤジだこと。きっと印象には残っただろう。それが理由ではないが、ドルシネア姫とは言葉を交わすことなく4時半ごろには店を出た。
彼はかなり疲れていた。口が仕事を拒んで、心も罷業の体ではどうにもならない。
帰路は何時もと同じコースをとる。彼は、6時ごろには帰着したいと思っている。往路はゆっくりを意識して歩いたが、そんな訳にはいかない。
佐布里の池まで来ると、満月らしい月が湖面に映って揺らめいているのをながめ乍ら、いつもの速歩に近いペースで歩く。7キロほどの距離だ、大した距離じゃない。休憩も無しで一気に家まで歩く。往路に無理をしなかったお蔭か、復路はペースも落ちずに歩き通すことが出来た。着いて時計を見れば6時ジャスト。
疲れはしたがこの分なら翌日の腰の具合も良さそうだ。大きな段差を踏み外すように落ち込んでいた自分の体を、ゆっくりと労っている彼である。ケアとちょっとしたエクササイズをすることで、身体は十分に対応できそうだと実感でき、この日のウォーキングは大いに意義があったとご満悦。
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