♪ かにかくに手を出して来ぬ人生を急行列車と歌いしころあり
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私は悲しいかな絵本などあまり読んことがない。戦後すぐの世代で、絵本を潤沢な環境で読むことが出来たのはごく限られた恵まれた人だけでしょう。保育園など無く、小学校は田舎道を3キロも歩いて通学していた私のような田舎者は、絵本の存在すら知らなかった。
読書好きでもなかったので子供に絵本を与えるという発想もなかった。今思うと、もっと本を読んでおけばよかった、子供にも絵本をたくさん与えてやれば良かったと、とても残念に思う。生まれ育った環境という神のいたずら的運命はどうしようもなかった。
なので当然、この「いせひでこ」という名前は知らなかった。
この中に描かれていることは、ずっともの作りをしてある程度の歳になった人なら、誰でも身に染みて良く分かる。まっすぐに伸びた飛行機雲を見て「どうしてあんなに正々堂々と、自分の軌跡を残せるのか」と嫉妬する。そんなに簡単には行かないよと、試行錯誤しながら紆余曲折の道を辿りつつ、悪戦苦闘しながら寸進尺退を嘆き、轗軻不遇に悩む日々。それでもやり続けることで何かが見えてくるのを待つ。あんな真っ白で真っ直ぐに伸びているものなんてウソ臭い。本物じゃないことは、間もなく消えてしまう事が証明している、と毒づくのだ。
「結果はどうであれ信じる生き方を一心に貫くだけ」と言い切れるところがこの人の強さだろう。
伊勢 英子 [いせ・ひでこ]
画家・絵本作家。1949年、北海道札幌市に生まれる。東京藝術大学デザイン科卒業。大学を卒業して、1年間フランスに留学。帰国後、児童書の挿絵や絵本の制作を手がけるようになる。
絵本『むぎわらぼうし』による絵本にっぽん賞受賞をはじめ野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞美術賞、講談社出版文化賞絵本賞など受賞作多数。
代表作「ルリユールおじさん」「1000の風 1000のチェロ」「にいさん」ほか、フランスなど海外で翻訳・出版されている絵本も多い。絵本制作と並行して絵本原画展,アクリル画の個展を各地で開催。
私と同じ1949年生まれなので今年満70歳になる、団塊最後の世代。実父は日展画家で、夫はノンフィクション作家の柳田邦男とか。小さい時から絵がうまく、中学校では漫画家の絵を上手く描き分けるのが注目を集め、毎日リクエストに応えてたくさんの絵を描いてあげていたとか。
血筋と環境という天から授かったものを生業に活かすことになって、凡人には無い茨の道へ分け入ってこその上記の言葉。
38歳のとき眼疾患で右目の視力を失っているという。それでいながら絵を描き続けているというのが素晴らしい。とは言え、片目だと遠近感が分からないというのは間違いで、慣れればどうって事はないということを、伊達政宗を語る中で誰かが話していた。
余談だが、伊達政宗はテレビで見るような(刀の鍔)眼帯などしていなかったらしい。あれはまったくのフィクションで、テレビ用に脚色されたものらしい。
「光村図書」によるインタビュー記事より
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日本人がまたまたノーベル化学賞を受賞。リチウムイオン電池の登場で様々な分野で革新的な製品とシステムが登場し、大きな変革をもたらしたのだから受賞は当然のことと言える。10年も前から候補に挙がっていて、ここ数年は記者会見の席まで用意されていてようやくその時を迎えた。
これらの受賞に至るまでの過程でいかほどの苦労があったのか、追々明らかにされていく事でしょう。
ノーベル賞受賞者をアルプス山脈に例えると、あれがマッターホルン、これがモンブランとピーク(頂上)がたくさん見えて来る。その山を成しているのはその下に研究に関わった多くの人々がおり、もう少し低い山々に囲まれながらそのすそ野が大きく広がっていることで支えられている。縁の下の力持ち達の存在なくしては成り立たない。
その縁の下の力持ち一人ひとりにとっても紆余曲折と艱難辛苦は付いて回り、それを乗り越えてこそようやく出来上がる人間ピラミッド。そのトップでにこやかに笑っておられる吉野彰さんは、かなりの強か(したたか)者らしい。
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