♪ 咲く花に心趣(こころおもむけ)匂わせる黄色いばらの咲く家のひと
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カズオ・イシグロのノーベル賞受賞第一作「クララとお日さま」を読んだ。近未来のSF小説で、主人公はAF( Artificial Friend 人工親友)と呼ばれる人型ロボットのクララ。都市の雑貨店で売られ、召使として使われる。娘ジョジーのために買われていった家の日々の生活が丁寧に描かれていく。そのクララ特有の感性と学習能力でジョジ―の日常の様子を観察することで、よき理解者として、より人間を理解できるようになっていくクララ。幼馴染とのやりとりにおいても、間に入ってよき相談者となり援助していく。
AIがつかさどるクララの脳は、見るものすべてを変化し続ける「ボックス」に分割して再構成することで理解するように出来ている。心も持っていて、人間を理解しようとながらそれなりの良し悪しの判断もする。
太陽の光から「栄養」を得ているクララは、店にいたときも自分の立ち位置から、空を動くお日さまを見ており、迷信的ともいえるほどお日さまにすがろうとするところがある。ジョジーが困惑する状況に巻き込まれと神に似た力を求め、祈る姿が愛おしい。人間とロボットの中間に位置し、着かず離れずの様子がていねいに描かれている。
現在と同じ格差社会で、裕福な家の子どもは遺伝子編集を通じて知性の「向上処置」を受ける機会に恵まれ、処置を受けられない子には優れた大学へ進む道が閉ざされている世界。人工知能が日常的なものになる中で、人間の本質は何ら変わない様子が悲しい。
機械は人間と同じ前提に基づいて動くわけではなく、人間の欲望や都合をAIに投影することは危険だし間違っているということが、最後のところで提示される。テーマは、臓器提供者として育てられるクローン人間の生を描いた『わたしを離さないで』に近いものがあるようだ。
ちょっと冗長な感じがして最終章で、命の尊厳とは、人間らしさとは何かを突き付けてくるまで耐えきれない読者も居るのではないだろうか。
Knopf(アメリカ)出版 Faber & Faber(イギリス)出版 この赤い表紙から受ける印象はどうでしょう。日本の装丁と比べると、如何にも売るための脚色が顕著で、メルヘンチックな絵がイシグロのイメージとマッチしておらず、ちょっとやり過ぎの感がある。
上のインタビュー記事から抜粋 ここ数年、文学や映画が、単なる気晴らしである以上の役割を見出しづらくなっているように感じもしますが、わたしの作品は、「あなたがもし同じような状況にあったら、同じように感じますか?」という問いを、読者のみなさんに投げかけるものだと思っています。その問いを投げかけることがわたしの仕事なのです。そして、人びとがそうやって感情や想いを分かち合うことはとても大事なことだと思っています。
小説の主題となっている「感情」が適切に伝わることが、わたしには大事なのです。わたしが小説を通してやりたいのは、時代や空間を超えて伝わる「感情」を描き出すことです。それは、普遍的で、変わることのない感情です。それができていると自惚れるつもりはありません。むしろ、野心と言うべきもので、それがわたしが最初からやりたかったことなのです。
また、映像とくらべて小説は「記憶」を記述することに長けていると思います。記憶の曖昧さ、不合理さ、そのリアリティを、ことばは、むしろ映像よりも的確に捉えることができるように思います。小説においては特定の時代や空間が設定されますが、そうした設定自体が重要なわけではありません。そこで描かれる感情や記憶といった心の作用こそが大事で、そこにこそ普遍性があるのです。
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