〇〇 「檸檬」読みて湧き上がりきし幸せ感
♪ 五十音駆使して描く億万の心は重き星のかがやき「私はなんて幸せなんだろう。」梶井基次郎の「檸檬」を読んでいて、何故かそういう思いが湧き上がって来た。 この何とも言えない文章に酔いしれたのか、麦焼酎のオンザロックを飲みながながらなのでアルコールが作用したのかもしれない。ローランドカークのレコードが掛かっていたことも何か影響しているのか。 冒頭から梶井基次郎と言えば「檸檬」というぐらいの代表作が出てくる。何とも言えない味のある文章。その時代背景が妙に心地良く、描かれる情景や心情に安らぎさえ感じる。 檸檬を手に入れ、幸せ感に酔いしれているその心のありさま。文章は端的でありながらも様々なものを思い起こさせる不思議な重さがある。丸善で画集を積み上げた上に、檸檬を密かに置いて帰って来る。そこに至るまでの心のうごきと終わり方。憎いほどにうまいと思う。 最後まで読んで、なんだか知らないが幸福な気持ちが湧き上がってきた。饒舌でもないが淡白でもない。この時代の空気が、現代社会では失われてしまったおおらかさを伴って浮かび上がってくる。 懐かしい詩情が文章全体にただよっている。これが、世代や個性の違う数多くの作家たちに支持された文章なのかと、心に響いてきた。 私は、毎日のブログを日記のつもりで書いていて、エッセイを書いている意識はない。なので、出だしをどうしようとかどう展開させようとかを考えたことはない。それでも毎日書いているからには上手くなりたいとは思う。この「檸檬」を参考にするつもりはないが、どこか心の栄養にはなるに違いない。他の短編も楽しみになって来た。☆ この日掛けていた、ローランド・カークの「The Inflated Tear(溢れ出る涙)」は、私の好きなアルバムの一つで、こちらも「檸檬」に通じる何かがあるような気がする。 カルテット( トロンボーンが入る)。'68年発表アルバム。クレオール・ラヴ・コール"以外はカークのオリジナルこの時は、無意識になんとなく選んで掛けたのでまったくの偶然だ。実際にはBGMで、じっくり聞いていたわけでもないが、こころの何処かに波動が伝わったのだろう。 盲目のマルチリード奏者であるローランド・カークは、サックス、マンゼル、ストリッチと3管のマウスピースを同時に咥えて演奏したりする鬼才。独特のアフリカン・アメリカン・ミュージックの何とも言えない雰囲気の演奏は、何だか分からないままに心地い。 ローランド・カークは他にももう一枚持っている。始めて掛けた時に何だか知らないが、“懐かしい” という感じがした。不思議な気持ちにさせてくれるアルバムだ。The Return Of The 5,000 lb. Man マルチ・インストゥルメンタリストにして、アドリブを取ればハード・バップの一線級のプレーヤーに引けを取らない。フルートを吹けば声と楽器の音を混ぜる独特の表現など、ユニークで圧倒的な実力と個性のジャズママンだ。 ローランド・カークは1935年生まれ。1歳か2歳の時、看護婦が誤って薬品を大量に彼の眼にこぼし、盲目になってしまったという。 梶井基次郎は1901年(明治34年)生まれ。長く結核を患い、31歳という若さで亡くなっている。磯貝英夫「梶井基次郎─鑑賞『檸檬』 「檸檬」で作者が遂行したのは、倦怠した心情の広がりが詩的感受性に澄みきわまる一瞬の緊張を取り上げて、生活的、思弁的な雑音を排除すること。散文的拡散から詩的凝集へという推移。心情的陰影が分析的な散文体によってくっきりと刻み込まれた。鋭敏な詩的感受性こそは彼の生来のすぐれた資質。それが純粋に抽出され、散文の方法によって定着されたのが「檸檬」である。(私的に要約)