♪ 数千キロの故国をはなれ変りゆく景色の中を飛ぶ燕たち
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今日6月10日は、日本で初めて時計(「漏刻」と呼ばれる水時計)による時の知らせが行われたことを記念して制定された時の記念日です。
遅まきながら例年のように、令和3年「歌会始」の入選歌の考察を、私なりに感じたまま書いてみようと思います。例年なら1月10日前後に行われる儀式ですので、本来の日程からすれば丁度半年後という事になりますね。お題は「実」でした。
「大学の実験室は旧兵舎窓辺に寄りて目盛を読みぬ」秋田県(80)
作者は生まれが昭和16年ごろ。終戦の影のまだ残っている学校生活を振り返っている。「窓辺に寄りて」に動きを伴った臨場感がよく出ていて、薄暗い旧兵舎での実験の様子が鮮やかに浮かび上がってくる。LEDの明るい空間に慣れ、夜も明るい生活の中にいる今、いっそうその時代の暗さが浮かび上がって来る。
「見合ひ終へあなたの母から門前でゆすらの紅実(あかみ)てのひらにうく」福井県(77)
見合いの相手に好感をもち、結婚したいと思ったからこその「あなたの母」。帰りがけにもらった「ゆすらの紅実」が「赤い糸」を連想させて、一幅の絵を見ているような美しさがある。「見合ひ結婚」も案外良いものなんだよというメッセージが含まれている気がします。
「此処よりは世界遺産と言ふ森の土やはらかし橅の実落ちて」三重県(71)
白神山地でしょうか。「此処よりは」という出だしによって「世界遺産と言ふ森」が何か特別なものを強調して提示される。回りとは違って土が柔らかいという表現に、そこが神聖場所であることを感じさせる。四句切れのあと、「橅の実落ちて」の連用形で終わっている結句によって、読み手もそこに誘われているような心持ちがしてくる。
「台風の進路予測を聴きながらまだ少し若い梨の実も穫る」埼玉県(68)
ここには悲壮感はなく、自然と共存する姿がある。果樹栽培を楽しんでいる様子が、若い梨の実の青い色のすがすがしさと相まって浮かび上がって来てくる。台風にやられて後悔をしないために身に付けた大らかな諦観と達観。梨への愛情も感じられ、台風はきっと逸れたんじゃないかと思えて来る。
「実践に臨む瞳のあどけなさロボットはわが言葉聴きをり」神奈川県(58)
AIロボットの進化は目覚ましい。開発者はその出来栄えを疑わず、愛おしい眼差しで言葉の指示を与えている。女性ならではのものでしょうか、わが子を見るような様子が「瞳のあどけなさ」によく現れている。学習する能力を備えているだろうロボットが、指示を注意深く聞いているかのようだ。
「今日からは臨床実習の冬の朝少し足早に聖橋渡る」東京都(56)
五九五八八音と字余りを多用することでリズムが滞り、如何にも寒い冬の朝が表現されています。医者という命を扱う困難な道を目指す学生を指導する教官。初日は身が引き締まる思いで家を出るのでしょう。結句の「足早に聖橋渡る」がよく効いていて、白い息まで見えるようです。
「シールドの向かうの客に釣り渡す架空のやうな現実にゐる」広島県(53)
コロナ禍の見慣れない日常が信じられない。見えない敵と曖昧な政府の態度など、そのやるせなさと無力感がじんわりと浮かび上がって来る。郵便局で感染対策をしながらの窓口業務で、シールドを隔てて展開される虚無感の様なものが表現さている。
「空白に史実のピース集めても想ひつかめぬ歴史のパズル」東京都(24)
歴史には空白があることでその本当のところは謎に包まれたままにある。いくら史実を積み重ねたところで、そこに生きていた人の想いは知ることができない。歴史小説には時に新説が生まれ、新たな人物像が描かれたりする。そこが面白いと作者は思っているのかも知れない。
「せんせいと子らから呼ばれ振り返り実習生は先生となる」長野県(24)
教育実習の学生が「せんせい」と呼ばれて戸惑いながらも嬉しそうな表情を見せる。「呼ばれ振り返り」の動きに、若さの気が満ちた教室の情景が浮かび上がって来る。同じ経験をした若い担任が教室の後ろで、“いい先生になれよ” という思いで眺めている。ついこの前の自分の姿を重ねながら・・・
「七限の書道の授業は『実』の文字最後の払ひに力を込める」新潟県(17)
お題の言葉をそのまま歌にしたところに、素直な若者の気持ちが出ている。結句の「最後の払ひに力を込める」が秀逸。書道に託して、学校生活の充実ぶりと意気込みが詠み込まれ、若さを表現して余りある。
選ばれた歌はいずれも丁寧に詠まれていて、生活感のある外連味のないものばかり。元々の「和歌」的なものから離れ、今は、個人的な身近な体験や思いを表わす「短歌」的なものになった。ありのままを詠まれた歌が好まれる。淡白な感じがしないでもないけれど、生活者の日常を描いていて好感が持てる。メタファーは短歌の真髄ではあるものの、歌会始の様な天皇(皇族)と庶民の唯一の文化的な儀式において、それを強調するのはそぐわないとされているようです。異化する表現も同様に避けられている。
全体に年齢層のバランスは取られているものの、30代40代がおらず応募者が少なかったことをうかがわせる。その傾向は毎年の事で短歌にはあまり縁がない世代なのかも知れません。
☆ 2017年 歌会始入選歌の考察
☆ 2018年 歌会始入選歌の考察
☆ 2019年(平成最後)歌会始入選歌の考察
☆ 2020年 入選歌(この年は応募せず、考察もしていない)
☆ 2021年 歌会始入選歌の考察
☆ 2022年 歌会始入選歌の考察
☆ 2023年 歌会始入選歌の考察
☆ 2024年 歌会始入選歌の講評
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