♪ 膝痛はやや蟹股で防げると小雨のなかを歩きつつ知る
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8日、借りたい本があっので久し振りに図書館まで歩いて行った。雨の止み間をねらって出かけたものの、途中で小雨がぽつぽつ。構わず歩き、途中の長い上り坂を走ったりして・・。
濡れたり汗をかいたりしたので、クーラーの入っている図書館に長居は禁物と覚悟して入ったが、弱くしてあるので大して苦にはならなかった。
♪ 吾(あ)の借りる本ことごとく閉架なり蒼然として今し目覚めぬ
新聞の書評欄「古典百名山」で、桜庭一樹が「デミアン」を紹介していた。ヘルマン・ヘッセは私も好きな作家で何冊か読んではいるけれど、この「デミアン」は読んでいなかった。
こちらはデーミアンとなっている。翻訳ものは訳者によって微妙に違う。
訳者違いのすべてを揃え、読み比べして楽しんでいる人もいるらしい。
表の世界の自分が、世間に適応することでイッパイイッパイの一方、深層心理の奥では、実は鋭く本質的な“世界への問い”が生まれ続けている。周囲に翻弄(ほんろう)されつつも、シンクレールの心は、ユングの心理学、ニーチェの哲学、グノーシス主義などの思考の旅をし続け、空想上の友達(イマジナリーフレンド)のデミアンがよき導き手となる。誰しもが子供のころ持っていた“自分自身より賢い、心の中のもう一人の自分”と一つになることで大人に変わるという、暗いロマンに満ちた成長物語だ。
今作は“古い世界の終わりこそ新しい良き世界の始まりである”という、著者の心からマグマのように噴き出るテーマを、個人の実人生(大人への成長)と歴史(世界大戦勃発)の二重写しで描く怪作でもある。アメリカでも、ベトナム戦争が起こった六〇年代以降、若者の間で流行したというが、ではコロナ禍のいまの日本では、世界では、どのように読まれるだろう?これはいつか読む本じゃなくて、いま読む本。できたら一年、一月、いや一秒でも早く開いてほしいと、個人的に勧めたくなる一冊だ。
この見事な賛辞に心だけは若い私はその気にさせられ、いそいそと借りに行ったというわけ。
芥川賞が発表されれば、掲載されている文藝春秋を必ず買って読むけれど、図書館で借りる本はいつも古典の部類に入るものばかり。読書をあまりしてこなかった罪滅ぼしと、古典にこそ本当の文学が息づいているというジジイの偏見が、時代に遅れたくないという妙な意地が重なっている。せんべい布団の上に、羽毛ふとんを被せるような塩梅だ。
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帰りがけに通った裏道の脇に、畑の水溜め用の四角い大きな水槽がある。その中に、どうしたわけかウシガエルが棲んでいるのを何年か前に知った。水面から縁まで50㎝はあって、そこから出られる可能性はかなり低いと思われる。萍(うきくさ)の間にけっこう大きい2匹がプカリと浮かんでいる。まさに井の中の蛙だ。顔だけ出している姿は何だか哀れな気もするが、幸せそうにも見える。
井伏鱒二ならずともこのシチュエーションは様々な想像を駆り立てて、物書きならずとも心惹かれるものがある。
♪ 想像はかずかぎりなし萍のみどりにぬれるおお空のした
ウシガエルの寿命は、野生下で7年から10年ぐらいらしいので、以前見たカエルがまだ生きているらしい。栄養は足りているようだが、一体何を食べているのだろう。1×2mほどの水槽で、足が掛かるものなどない水の中に一日中暮らしている。ジャンプする立派な筋肉を持っているのだから、それも使いたいだろうに・・・
☆後記
どうやらウシガエルではなくトノサマガエルの仲間のダルマガエルかも知れない。チラッと見えてすぐに水に潜ってしまったので、意外に大きく感じたのかも知れない。それもナゴヤダルマガエルというやつ。蛙は両生類なので水の中でも生きられる。寿命は自然界では4~5年らしく、本来は土の中で冬眠するが土がないので水中で冬眠しているのかも知れない。
「壺中、天有り。」
コロナ禍に新しい価値観と生き方を模索している人も多いことでしょう。壺中に天をもつという故事に倣えば、案外楽しい生活が待ち受けているのかも知れない。
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