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歌 と こころ と 心 の さんぽ

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2021.12.04
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カテゴリ:読書

♪ オペラ座に湧きあがりおる熱水の黒く冷たきパガニーニの血よ


 クラシック・ファンならニコロ・パガニーニの名前を知っている人は多いでしょう。私も超絶技巧のヴァイオリンの名手だということは知っていました。フランツ・リストの「ラ・カンパネラ」を超絶技巧のピアノ曲だというところまでは知っていても、原曲がパガニーニのヴァイオリン曲だと知っている人は少ないのではないでしょうか。

 リストと言えば「超絶技巧」「ピアノの魔術師」などといった言葉を連想しますが、そもそも超絶技巧を目指したきっかけは、ニコロ・パガニーニのヴァイオリン演奏を聴いたことが始まりと言われています。その時彼は「私はパガニーニになる」と言ったそうです。

 
右はドラクロアによる《ヴァイオリンを奏でるパガニーニ》

 この本は面白かった。日本初のパガニーニの伝記として書かれたもので、全身黒ずくめで「悪魔」というイメージを利用してブランディングに徹した、天才の生きざまを綴ってその類まれな天賦の才能を余すところなく描いて見せてくれる。

 1782年生まれで、5歳の頃からヴァイオリンを弾き始めた。父親が才能に気づき金が稼げると思って師につかせ本格的に習い始める。13歳になると学ぶべきものがなくなったといわれ、その頃から自作の練習曲で練習していた。それら練習曲はヴァイオリン演奏の新技法、特殊技法を駆使したものと言われている。

 蜘蛛のような腕が異様に長く、やせ細った不気味な風貌と無表情で無口。黒いマントに身を包んで、ロウソクが灯る薄暗い舞台に登場し、固唾をのんで静まりかえる観客をじろりとにらみつけると、観客は震えあがったという逸話を聞くだけで、興味をそそられる。

 詳細は本に譲るとして、印象深かったことを書き記しておくことにします。先ず病弱だったということに驚いた。(幼少時に重度の麻疹(はしか)で体が膠着して動かなくなり、両親が死んだと思って白布に包むとピクピクと動き出したというエピソードがある)
 その彼が19世紀のヨーロッパを熱狂させ、魅了させてパガニーニ現象(パガニーニ・ショック)をもたらし、当時の音楽家のみならずその後の名だたる作曲家に多大な影響を及ぼしたという事実を知ってただもう畏まってしまった。そして、ひれ伏すように彼の虜になってしまった。


19世紀のヨーロッパ

 イタリアという国がまだ存在せず、ローマ、ベネチア、ナポリなどと並んでジェノバという都市国家に生まれ育ったパガニーニ。1797年にナポレオン軍によって統一され、リグーリア共和国となり、イタリアという統一国家が誕生したのは1861年(明治維新の7年前)、パガニーニ没後21年後のことだ。
 1789年のフランス革命がきっかけとなったと言われるが、その時彼は6歳でヴァイオリンの才能を発揮し始めたころという。

 その超絶技巧には見る者を魅了して心を鷲掴みしてしまうという凄さは、今の時代でも彼を超えるものはない事からすれば、当時としてはとんでもない事だっただろう。14歳の時、街の貴族の詩人宅であった晩餐会で、その驚異的な腕を披露。さまざまなメロディを困難な二重奏で演奏し、さらに、その途中にフラジョレット(倍音奏法)の速いパッセージを挿入して驚かせている。

 彼の特徴の、高速スタッカート、スピッカート(弓を弾ませる)、ダブル・フラジョレット、左手のピチカート、広域にわたるアルペッジョ、スコルダテゥーラ(変則調弦)など特殊奏法のオンパレードは彼独自のものと言われるが、オーギュスト・フレデリック・デュランという当時のヴァイオリニストからヒントを得たともいわれている。

 若いころはイケメンだった彼は多額の報酬も得るようになり、博打と女に狂う時期があった。一旦(1801年)数年間を田舎に引きこもった後、1804年に宮廷楽士のの職に就く。そこからは破竹の勢いで名を馳せて、ナポレオンの2人の妹と浮名を流したりしている。
 4本の弦のうちG線(最も太い)とE線(最も細い)だけで男女の愛憎を表現して見せたりし、1本でもできるかと言われて後にナポレオンの誕生日に披露したのが、ヴァイオリン(5弦)とオーケストラのための曲「ナポレオン・ソナタ」だ。

1807年 ソロ・ヴァイオリニスト就任
1808年1月1日 室内管弦楽団が解散し宮廷弦楽四重奏団となりヴァイオリニスト兼フェリックス・バッキオッキ王子のヴァイオリン教師に任命される。その立場に満足せず12月宮廷を去る
1809年 更にヴァイオリン演奏法の追求に専念する
1813年10月29日 ミラノのカルカノ劇場での演奏会は批評家をして世界一のヴァイオリニストと称賛される。ミラノにおける37回の公演は全国の注目を集める
1816年 ミラノのラフォントに住む
1818年 ピアチェンツァのリピンスキに移住
1820年 慢性の咳などで体調不良となる
1823年 梅毒と診断される
1824年 のちに愛人となる歌手のアントニア・ビアンチに出会う。翌年二人の間に息子アキル出生(1837年認知)
1825年 健康状態の不安定は続く
     年譜はWikipediaのもの

 その後、イタリア半島での演奏ツアーを始めいよいよ「比類なきキャラ」を確立してゆく。「無伴奏ヴァイオリンのための二十四のカプリス」やいくつかの変奏曲を除けば大衆を唸らせるものがなく、何かが足りないと気付いた彼は、技巧だけでなくいかに自己を演出するかを考え、自作のヴァイオリン協奏曲の制作に取り掛かっていくことになる。
 現在、6曲のヴァイオリン協奏曲が知られていて、この時期に作られているものばかりとか。

 著作権など存在しない時代なので、勝手に使われたり盗作されたりするのを恐れ、演奏会のたびに自作の譜面をオーケストラのメンバーに配り、パート譜を配るのは演奏会の数日前(時には数時間前)で、演奏会までの数日間練習させて本番で伴奏を弾かせ、演奏会が終わったらか自ら回収していた。オーケストラの練習ではパガニーニ自身はソロを弾かなかったため、楽団員ですら本番に初めてパガニーニ本人の弾くソロ・パートを聞くことができたという。

Niccolo Paganini Violin Concerto No.1

María Dueñas 16 years old You Tubeへ
Dima Slobodeniouk conductor、Lahti Symphony Orchestra
 16歳とは思えない堂々たる演奏で、弓の“馬の尾毛” が何本も切れ、パガニーニが好きでたまらないという風な熱演に、思わず引き込まれてしまった。

 1827年。ローマ教皇レオ十二世から「黄金拍車勲章」を授与され、悪魔ならぬ騎士(ナイト)となってイタリア半島を飛び出してヨーロッパ進出。栄光の名声を不動のものにしていく。

1828年3月29日ウィーンでの公演は大成功を収め、皇帝フランチェスコ2世からセント・サルヴェーター勲章を受け巨匠の名誉を授与される。フランクフルト・アム・マイン、ダルムシュタット、マンハイム、ライプツィヒ、プラハと公演し1829年3月4日ベルリンデビュー
1831年3月9日 パリ公演、6月3日ロンドン公演し1833年まで英国全土で公演
1832年 ジェノヴァに戻る
1834年 肺疾患により衰弱、20人の欧州の著名な医師が診察するも治療困難。パルマのヴィラでほとんど過ごし、時々パリを訪れる
1838年 声が出なくなる
1839年11月 健康の為ニースに行く
1840年 春、上気管支炎、ネフローゼ症候群、慢性腎不全を患い亡くなる

 パリのオペラ座で11回の公演だけで16万フランも稼いだという。今に換算すると、ざっと1億6千万円ほどにもなるという。チケット代を通常の2倍にしても市民は競って買い求めたと言う。興行師などいない時代で、会場を探し、広告を出し、チケットを売り、プログラム構成や演出もすべてを自分でやったというからすごい。
 既存のオーケストラがほとんどない当時は、基本的には演奏家自らが自腹を切って楽団員を集めてオーケストラを編成したという。1829年のベルリン公演では自作の協奏曲を演奏するため25人のオーケストラを編成したが、彼ほどの財力があっても25人が限度だったという。

 オペラ座公演には毎回、音楽家はもちろん、画家、作家、詩人などの芸術家から、王侯貴族、政治家、銀行家まで、あらゆる階層の著名人が集まったという。
 ある批評家・劇作家は、「所有物を売り払え。全部質に入れてでも彼を聴きに行け! 最高の驚嘆。最高の驚き。すばらしい奇跡だ。もっとも信じられないこと。最も異常で、かつ起こったことがないこと! タルティーニは夢で悪魔が悪魔のソナタを弾くのを見たというが、悪魔は紛れもなくパガニーニだ!」 と評している。


24のカプリス

 パガニーニの演奏・楽曲は、リストやシューマンなど当時の作曲家に多大な影響を与え、以後様々な作曲家がその主題によるパラフレーズや変奏曲を書いた。特に『24の奇想曲』の最終曲「主題と変奏 イ短調」や『ヴァイオリン協奏曲 第2番』の終楽章「鐘のロンド」は繰り返し用いられた。
【24の奇想曲 Op.1】
*ロベルト・シューマン
 パガニーニのカプリスによる練習曲 Op.3 (6曲)
 パガニーニのカプリスによる練習曲 Op.10 (6曲)

*フランツ・リスト
 パガニーニによる超絶技巧練習曲集 S.140 (6曲)
 パガニーニによる大練習曲 S.141 (6曲)

*フェルッチョ・ブゾーニ
 パガニーニ風の序奏とカプリッチョ
【第24番「主題と変奏」】
*フランツ・リスト
 パガニーニによる超絶技巧練習曲集 S.140 より第6曲 イ短調「主題と変奏」
 パガニーニによる大練習曲 S.141 より第6曲「主題と変奏」
*ヨハネス・ブラームス
 パガニーニの主題による変奏曲 イ短調 Op.35(2巻)
*セルゲイ・ラフマニノフ
 パガニーニの主題による狂詩曲 イ短調 Op.43(ピアノと管弦楽)

【鐘のロンド】
*フランツ・リスト
 パガニーニの「鐘」による華麗な大幻想曲 S.420
 パガニーニによる超絶技巧練習曲集 S.140 より第3曲 変イ短調「ラ・カンパネッラ」
 パガニーニによる大練習曲 S.141 より第3曲 嬰ト短調「ラ・カンパネッラ」(一般にピアニストのレパートリーとしての「鐘(ラ・カンパネッラ)」はこの曲を指す)

*ヨハン・シュトラウス1世
 パガニーニ風のワルツ Op.11

 もし、今の時代にパガニーニが現れたら、いや、もし今がパガニーニの時代(日本で言えば江戸時代)だったら・・・
                       明日につづく





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最終更新日  2023.07.01 11:00:59
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◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
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