♪ 梅はもう赤い莟をふくらませ魁(さきがけ)となるときを待ちおり
これまでの日本の民主主義は「最低限度(健康で文化的な)の生活」に必要な「安全」「飽食」「自由」を曲がりなりにも供してきた。しかし、格差社会や長引くコロナ禍はそれらの一つ一つを脅かして、もはや形骸化して意味をなさなくなっている。
今後、社会は自由が二の次になっていく。自由こそが民主主義の基盤であるとすると、二の次になれば民主主義を選ぶ必要がなくなる。そうなると、政治的自由を犠牲にする代わりに経済と治安を重視する中国のような、権威主義国家が身近に感じられるようになる。
早晩、自由主義と社会主義を併せ持った中国がうらやましいと思う若者が現れて、それも仕方のない事だと思うようになっていく気がしてならない。
民主主義以降、人々を律するものは人々の心の中に移って、自分で自分を利するうようになってきている。自己責任という、政治の責任逃れから波及した言葉が独り歩きして、他人にまでそれを強要するようになっている。それを国やってくれれば誰も文句は言えないし、それで生活が安定して安心して暮らせるならそれに越したことはないというわけだ。
私が、「日本は将来、中国の衛星国になる」という未来予測を描いたりするのは、それだけ日本が弱体化して疲弊しきっているからだ。様々な企業の不祥事や犯罪めいた不正があまりにも多く、ガバナンスそのものが働かない三流国。統治ができないでいる事が情けない。
不況下の物価上昇、赤字国債乱発・低金利下での円安、自給力の低さ、売るべきものが減って貿易収支が悪化する輸入国、目先のことに終始する政治、トップに立つ人の質の低下。
なんだかんだ言っても、アメリカが嘗てのアメリカで無くなり、中国がその基盤をますます強靭堅固に拡大していくい。もはや中国に歯止めをかけることは、EUと米国がが束になっても無理でしょう。譲歩を見せながら、したたかに中国こそが民主主義の鏡であると主張して譲らず、着々と足固めしていく。旧弊を改めることなく自己保身の蔓延する日本が、中国にものが言える状況にはない。
コロナ禍がそれに拍車をかけて、白地図が赤く染まっていく。「中国とアメリカという磁石に両方から引っ張られて、ブルブルと震えている鉄くずのような日本」の姿が脳裏に浮かんで離れない。初夢ならまさに悪夢ということになる。
5年先の予測
数値ははIMFによる2021年10月時点の推計
希望的観測にしか見えないと思いたくなるのが情けない。
年初から不吉なことばかり書き、中国の肩を持つような文面で「お前は売国奴か」って言われそうですが、決してそういうものじゃありません。
グーグルアースの目で地球を眺めると、国境もなくただ一つの青い美しい丸い星が浮かんでいるだけだ。降下などせずに、ずっと上から眺めていたていたいと思う。野蛮で勇敢で欲深く、頭が良くて前向きで愛を持つ人間が、弱さを隠して生きている。
そんな人間の一人である自分が、2022に年をどう生きるのかを思う。池内紀(おさむ)氏(兵庫出身のドイツ文学者です。大学教授を55歳で退官した後、ドイツ文学の翻訳やエッセイの執筆をおこない、2019年8月30日78歳で逝去された。生前、「風のようにいなくなりたい」と語った)は、1日の計画、1週間の計画、1か月の計画、1年の計画を立てていたそうです。
計画を立てれば見えてくるものがある。年を取ると1年が早く感じるのは、1日の密度が低くなって充実感のないままに過ぎるために短く感じるのだという。子供は、1日のほとんどが初めての連続で、充実しているのでとても長く感じるのと真逆なのだと。
充実した1年を送るためには予定を作ること。だらだらと無為に過ごさないのがコツというわけだ。予定通りにいかなくても気にすることはない。それも人生、頑張ってみようかな。
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