♪ すき間なく並べられてる歌詞たちのラルラルラルルラ息が苦しい
最近の歌は、音符の数が追い付かないほどやたら歌詞が詰め込んであって、余白と言うものが全くない。先日、久し振りというか、滅多に見ない「Mステ」を観ていて、つくづくそう思った。そういう作り方だと言ってしまえばそれまでだが、時代がそれを要求しているのだろう。
昨今、政治家の言葉が軽くなっていくばかり。日本語に有る意味深長な部分だけを逆用するような風潮を見るにつけ、言葉がどんどん信用されなくなっている。社界全体の風潮とも重なって、言葉による表現力がどんどん落ちて軽くなっている。その表れとして、歌の歌詞が冗長していっているのだろう。
♪ 失語症の人の頭にあふれいることば連ねるごとき歌うた
あの桑田佳祐でさえ「日本でも米国でもヒット曲の質が変わって、涙を流して手を合わせながら聴くような曲はなくなってしまった。歌謡曲が滅亡してしまうのも、時代の変遷で仕方ないとは思うんですけど・・。
でも、周りの座標軸が動いてるだけで、自分はあまり動いてないような気もしているんです(2013年)」と言ったりしている。
♪ 詰め込んで連ねて隙を与えないエアガン連射の歌流れ来る
これでもか、これでもかとばかりに似たような言葉をかぶせていく。じっくり聞かせるのではなく、八分音符を連ねて軽いことばを目いっぱい積み重ね、がなり立てるように歌う。そうしないと伝わらないとばかりに・・・。
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* ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。