♪ 五月雨と呼ばれて雨は色を生すグリーン色の列車が走る
オーディオラックを移動した時、配線を整理したりプラグの接点にポイント復活材を吹き付けたりした。スピーカーの位置も変わったこともあって、以前よりも音が良くなった気がする。
昇圧トランスにアンプのアースの繋ぎ方が悪くハムが出ていたが、接点を磨いて繋ぎなおしたら直った。そんなこんなでレコードの音も良くなった気がしていて、DENONのDL-103(MCカートリッジ)でレコードを聴くのが一層楽しくなった。
このカートリッジは、今買うとメーカー希望小売価格:53,900円(税込)もする(実際はもう少し安く、amazonで34,000円、楽天で44,000円(正規販売店)買える。)。大幅な値上げが二度あって、その前に買っておけばよかったと後悔している。針先だけの交換ができるはずで、メーカー価格に準じたものになるのだろう。
連休のスタートから雨が降り、メーデーの昨日も雨に祟られて恨めしく思っていた方々も大勢いるのでしょう。そんな日は音楽でも聴いて、頭を空っぽにするのも良いんじゃないでしょうか。
| 私は、今更ながらフジコ・ヘミングに嵌っていて、あれこれYouTubeで聴いて楽しんでいる。テレビを大型スピーカーに繋いであるので、音量を上げてそれなりの雰囲気で楽しんでいる。
2001年春から300日に及ぶ密着取材された「翔け!フジ子・ヘミング 35年目の世界初挑戦 ~奇蹟のピアニスト独占密着」の1時間4分22秒あるこのドキュメントは、彼女の人となりを伝えてくれて見ごたえがあった。この時、彼女は71歳のはずで、今の私の年齢とほぼ同じ。遅咲きの巻き返しと言うか、その内に秘めた情熱には頭が下がる。
苦労人でありながら不屈の精神でピアノを愛しつづけ、わが国のピアノ界の巨匠といってもいいでしょう。年齢を公表していないとされていますが、Wikipediaには1932年 12月 5日とあります。それが正しければ、2022年5月現在で、90歳になるんですね。
今でも現役でコンサート活動をされていて、その体力と集中力は、やはり普通の人ではないようです。2020年、2021年こそコロナ自粛のため、中止や休止となって苦渋の日々を過ごされましたが、今年は1月から精力的に活動されているようです。オフィシャルサイトには向こう2か月の公演予定が載っています。
☆最新コンサート情報 共演 5月 1日[神奈川]横須賀芸術劇場
ソロ 5月 3日[三重]三重県総合文化センター
ソロ 5月 6日[東京]東京オペラシティコンサートホール
共演 5月11日[東京]東京文化会館
共演 5月14日[埼玉]埼玉会館
共演 5月17日[神奈川]ミューザ川崎
ソロ 5月24日[大阪]フェスティバルホール
ソロ 5月27日[東京]昭和女子大学 人見記念講堂
共演 6月 2日[埼玉]サンシティ越谷市民ホール
延期 6月 5日[宮城]東京エレクトロンホール宮城
共演 6月11日[埼玉]川口総合文化センター
ソロ 6月15日[東京]サントリーホール
共演 6月23日[長野]キッセイ文化ホール
共演 6月26日[山梨]河口湖ステラシアター
ソロ 6月30日[東京]紀尾井ホール |
東京のみならず、三重、埼玉、大阪、宮城、長野と90歳の人とは思えない活動ぶり。(三重でやるのに名古屋飛ばしちょっと悲しい。)練習は3時間、しっかりやられるだけあって、高齢の方が弾かれているとは思えない。とても瑞々しく、タッチにも暖かさがあって押しつけがましいところがない。ミスタッチなど、心を込めて弾いているからこそするものと、全く気にも留めていないおおらかさ。
謙虚で驕るところなど微塵もなく、飾り気のない姿勢と物言いが、その生き方と相まって人々を魅了しているようです。枯淡などという言葉からは縁遠い、やわらかで包み込まれるような音色方に魅かれる人も多い。動物愛護から肉も魚も食べないらしいが、菜食でも栄養の偏らない食生活を心掛けているからこその体力なんですね。実際、猫を常に9匹とか11匹とか飼っていて、“仕事は猫のためにしているようなもの” と言って憚らない。
さすがに足は弱っていて、補助がないと歩くことは難しいらしいが、いざピアノの前に座るとそんなことは全く感じさせない。
1999年2月11日にNHKのドキュメント番組『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映されて大きな反響を呼び、フジコブームが起こった。
16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていて、バーンスタインに才能を認められ「リストを弾くために生まれてきた」と言わしめ、コンサートの機会を得る。しかし、貧しい生活で風邪をこじらせ、左の耳の聴力も失ってしまい、コンサートは散々な結果に終わってしまう。
耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て以後は、ピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続ける。(左耳は現在、40%回復しているらしい。)
母の死後、1995年に日本へ帰国。1999年10月15日の東京オペラシティ大ホールでの復活リサイタルを皮切りに、本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍することとなる。2001年6月7日にはカーネギー・ホールでのリサイタルを披露することになる。その時の様子がこの「翔け!フジ子・ヘミング 35年目の世界初挑戦 ~奇蹟のピアニスト独占密着」に収められている。
この東京芸大学入学時のポートレートには彼女の内面が如実に表れている。不撓不屈の面構えに負けず嫌いと信念が渦巻いて、挑戦的で太々しい。その後の音楽家人生を予見させて余りあり、ああやっぱりと納得させられてしまった。
私は、菅野美穂が彼女を演じた「スペシャルドラマ『フジ子・ヘミングの軌跡』」(2003年10月17日/フジテレビ)は観たはずだが何も覚えていない。精神的にドン底にいた時期と重なっていて、心ここにあらずという状態だったのだろう。それらのことも重なって、彼女のピアノを聴くことがカタルシスとなっているようです。
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* ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。