♪ 意思のなき艸の調和の美しく異質なものがその和を乱す
久しぶりに朝(5時50分)のウォーキングに出た。曇天で朝日は見えず、人影が少ない。暑からず寒からず、風もない絶好のコンディションなのに、挨拶が出来たのは20組ほどでちょっと寂しい。
鶯は3方向から聞こえてきたが、杜鵑は鳴いていないし、小綬鶏の声もない。田植えが終わった田んぼにも蛙の声がほとんど聞こえない。雉が一声発したのを最後に、雉鳩や椋鳥の声がときたまするぐらいでとても静かな朝だ。不順な天候のせいで、人も野鳥もイマイチ季節を謳歌する気分になれないのかも知れない。
さまざまな花が咲いてとても華やかなこの季節。黄色から紫まで虹色を網羅するごとくに野や庭先を彩っている。
でも最近の私は、自然が作り出す、無作為の衒(てら)いのない風情に心惹かれるようになった。人の手を離れたところで、偶然のうちに絶妙なバランスで整っているそれらこそ「本当の美」のような気がしている。
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今朝、ウォーキング中にパークロードで撮って来た写真もそんな要素をもっているものばかり。
人工的なものでも、手を入れすぎず自然のままの状態を残しておくことで、得も言われぬ味が出て来る。きれいに整いすぎたものには、情感を刺激する「1/ f 揺らぎ」のようなものがないので、味もなければ心を癒してくれるような要素もない。
なばなの里のイルミネーションとか、きれいに色分けされて植えられたチューリップ庭園などには、全くそんな要素が感じられない。美しいだけの人工的な美は、心のどこにも栄養を与えてくれない。
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* ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。