♪ トルネード、マサカリそしてサブマリン
ドーンと個性が光っていたっけ
梅雨時は家に籠っていることも多くなる。そんな時は読書にいそしむいいチャンスでもある。今を名を馳す作家の登竜門である「芥川賞」を、文藝春秋掲載時とおなじ審査の経過とともに網羅してある「芥川賞全集」というのがある。そんなのがあることを最近知った。
読書にいかに疎いかの恥をさらすようだけども、事実だからしょうがない。高井有一の本を読んでみたくなり、図書館で検索したら出てきた中の一つにこれがあった。受賞作「北の河」は、1965年第54回の受賞だったが、そんな古い本はことごとく閉架になっている。しかし、この全集は日本の小説コーナーにデーンと鎮座していて、いつでもすぐに借りられる。柴田翔の「されど われらが日々」もこのとき読んだ。
それで気をよくして、次はもう少し新し目の平成6年(1994年)第111回受賞作品から掲載されている「十七巻」を借りてきた。28年前からの受賞作は、読んではいないがよく知っている題名と名前が並んでいる。
ずっと小説を読むという趣味はなかったし、文学というものには縁遠くて年に数冊読むか読まないかという程度だった。しかし、ブログで毎日文章を書くようになってからは、小説というものに興味が湧いてここ最近は受賞作掲載の文藝春秋を毎回買って読んでいた。
しかし、最近の小説には何か物足りない感じがするのは、自分が年を取ったせいだと思うに至り、もう少し前の、自分が40代のころのものを読んでみたくなった。好きな時代の興味ある作家の出世作を自由に選んで読めるというのは有難いこと。この年になって、その作家たちの若かりし頃の作品に触れ、自分の心が若返えっていくのが分かる。
6本の内の5本目。あっさりなくなった。
今回は先ず川上弘美の「蛇を踏む」から読み始め、柳美里の「家族シネマ」を読んだ。次は辻仁成の「海峡の光」を読もうと思う。ソファーで読んだり仕事部屋の机で読んだり、ベッドで寝転んで読んだりと、その時の時間と気分によって場所を変えて・・・。
選考の評が文藝春秋に掲載されたそっくりそのまま載っているので、それぞれの選考委員によってこうも評価が分かれたのかと驚かされる。時代によって入れ替わっている選考委員の個性も、そこにそのまま表れているのが面白い。
巻末には受賞作家の年譜も網羅され作家のその後の足跡を知るのには便利この上ない。このシリーズにはまさに文藝春秋の姿勢と意気込みが込められ、日本文学の過去と未来が凝縮されている。
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* ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。