♪ 新時代の歴史の中の当事者に自然淘汰を猛暑が試す
BSフジでやっている『私たちの天然生活』を(6月25日(土) 14:00~14:55)たまたま観ていた。
田舎住まいを旨として、質素ながら豊かな自然と精神的な充実を実践している人を、女優・モデルの菊池亜希子が訪問し、1日を密着取材する番組だった。「天然生活」という雑誌があって雑誌にも掲載されているらしい。
川崎市に暮らす挿花家の雨宮ゆかさん夫妻のこじんまりした家を、建築家の中村好文氏が建てたという、曰くつきで取材にはもってこいの家庭というわけだった。
資金がないという条件のもとに中村好文氏が設計したのだとか。必要最小限の小さな家ながら、住人の希望を取り入れてライフスタイルに合わせた家だけに、これぞあるべき姿と思わせるもの。
広い敷地にたくさんの草花を育てて、その自然な花々を食器や陶器を花器に見立てて生ける。その行為そのものが天然生活そのもとして生活の一部になっている。小さな家の贅沢な生活。これこそが理想の生き方であって、自然を排他的に扱い、金ばかりかかる家に住むことを暗黙の裡に否定して・・・。
菊池亜希子が持参した器に花を活けてみたりする。
家を建てるにあたって唯一絶対の条件が「五右衛門風呂」だったという。薪を焚いて湯を沸かす行為そのものにご主人があこがれていて、その風呂を沸かすにあたっての蘊蓄を語ってみせる。子どもの頃の体験が後の人生の礎になっていることなど、天然生活への誘いをそれとなく匂わせてくる。
ほぼ同年代のご主人の話を聞きながら、自分もそうだったことを思い出し頷きながら見ていた。戦後の日本は貧しかった。戦争で生き残った両親のもとで、あるがままを受け入れての質素な生活。すべてが天然の中に一体となった、知恵を頼りの生活だった。
兄弟5人、上二人が姉で男3兄弟の真ん中。すべてが当番制で、風呂は五右衛門風呂に手押しポンプで水を張る。当然、沸かすのも薪なんて貴重で潤沢にはなく、山で採ってきた枯れ木などを燃やす。ご飯も竈でいろんなものを燃料にしていた。松葉を入れすぎ、くすぶっているのを棒で持ち上げて空気を入れ、一気に燃え広がってまつ毛を焦がしたこともある。
こんな手押しポンプに風呂までパイプをつないで、何百回と上下させて・・
最初にどう火を起こすか、何をくべてどうすれば強火になるか、どこで火を弱めるかなど、自分で体得していったもの。長じて、焚火で焼き芋をするとかキャンプで飯盒炊爨する時など、とても役に立っている。風呂焚き当番の日は特に、その火の魅力に見入っていたし、火の扱い方を熟知していることが密かな喜びでもあった。
お釜の水加減は自分の手の甲で量る。今でもそれは生きていて、どんな大きさの鍋やお釜でも水加減はそれで事足りて失敗することはない。
薪の代わりの枯れ枝も自分たちで調達するわけで、ある日高い木の枯れ枝をどうやって取るかを考えて思いついた。縄の先に石を括り付け、横に張り出した松の枝めがけて投げ上げ、縄を石に絡めてその瞬間に引き下ろすというもの。これが上手くいって “枝取り名人” と、一人悦に入ったものだ。
そんなこんなで、自然と一体になった生活だったが、あくまでも農家ではなく学校職員の社宅住まいだったので、一種独特な住環境ではあった。同級生の農家の家に行くと全く違う生活がそこにはあって、新鮮な驚きと知らない事の多いことに複雑な気持ちになったものだった。
今言う「天然生活」は、万博以前のあの昭和の生活そのもの。
様々に便利が行き渡って豊かな生活になったはずなのに、その恩恵に感謝するどころか不足不満ばかりが湧いてくる。生活は楽になったはずなのに豊かだという実感はなく、心の中に満たされないものを抱え、それがどこから来るものを考える余裕すらない。
ここ10年ほどで何かが間違っているとようやく気付き始めたようで、こういう類の雑誌が生まれ多くの人が購読している。目を見開かされ、夢のように憧れをもって眺め、自分もそうありたいと思うようになりつつあるように感じる。
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* ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。