♪ 稲の穂の風になびくやマスクして心を閉ざし長月に入る
日本人の特異性は昔から言われていることで、識者たちはいろいろとその理由や背景を推察、指摘しているのでしょう。
集団意識、同調意識を基にみんなが同じでないといけないという絶対的な思い込みがある。何十年も指摘され続けているが、ちっとも変わらない。変わるどころか益々ひどくなる。一体なぜ日本人はそうならなければ生きられないのか?
火山国で山地が多く、農地として使える土地が少ない。その上天然資源が少ない。
喰いぶちを維持するには排他的にならざるを得ず、村意識が強くなって村の境界では常に諍いがおこる。
天変地異の自然災害が多く壊滅的な被害にたびたび遭う。復興にはその限られた労力を維持する必要があり協調性を強いられる。
海辺と内陸部との交流が難しく、村落は孤立しやすい。
生きる上で共同・協調することで維持をはかり、村を存続させることが絶対的命題となっている。それに服従しなければ規律を乱すものとして叩かれる。従えなければ村八分になるか、村を追われるしかない。
国土比較(500m以上の山地)
縄文時代の意識が延々と受け継がれ、今でもその根本は変わっていない。すべての生活の礎になっている。
都市部にあっても所詮は田舎者の集まりで、その延々と受け継がれ血に擦り込まれた意識は決して抜けることがない。長年にわたって他民族との混血を嫌ってきたため新しい文化や価値観の入り込む余地がなく、自分たちの価値観が絶対的なものと信じ込んで生きてきた。
“文化の吹き溜まり” と言われるように、海流によってもたらされるものを悉く受け入れ、咀嚼し、自分たちの都合のいいものに変える能力は優れていた。新しもの好きの体質は、無いものねだりから来る切実な欲求だったのだろう。
島国で国境を持たず外敵が少ないはずが、おらが国が外敵に乗っ取られそうになる。それを必死に防いで文明開化を迎え、それでもなお村意識は抜けないまま。一致団結すれば勝てるはずと、馬鹿な戦争を繰り返して敗戦。そんなひどい目に遭っても、天変地異の一つぐらいにしか捉えておらず、純潔を守れたことを誇りにさえ思う。
国民意識というものは、国の政策でそう簡単に変わるものでもない。国がいくら旗を振っても血に組み込まれた性癖は変えられず、どこまでも付いて回る。他民族の血を入れることでしか、この絶対的美意識を変える方法は無いだろう。
とにかく “みんなと同じが安心” なのだ。風になびく薄のように、一緒に揺れているのが心地いい。「それで何が悪いの?」こんなに良いこと、邪魔するなんて許せない。
ちょっと乱せば集団の冷たい仕打ちが、 “出る杭を打つ” ように待っている。
「他人にかまうな、見て見ぬ振りしてろ。」「みんなに合わせてさえいればいい。」
島国育ちの世間知らず。根が従順でお人よしなので、生活が安定さえしていれば優しくいられる。わざわざ嫌われることをする意味もなく外人さんにだって愛想がいい。
“政治家が悪いのは国民のせい” だって誰かが言っていた。自己中心的なところはどこの国民も同じでしょうが、同調圧力と横並び意識が政治を難しくしているのは確かだ。
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* ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。