♪ パスカルの気晴らしといいし人生を何色にせむ最終章を
最近、ミスが多くなった。絶対的チョンボは無いものの、気が及ばずにやらかしてしまう類のケアレスミスだ。
「鍋に火を入れるため、〇〇時に中火で点けておいて」と頼まれ、そればっかりに気を取られて “お釜のスイッチを入れるのを忘れた” とかいうもの。
パーゴラの柱を立てて枠を乗せ、ビスで止めたので動かないと思い込んで、土台の傾きを調整していた金具を、出っ張っていたので押し込んだ。それでモルタルで固定してから傾いているのに気が付いて後の祭り。動いたかもしれないので確認するという発想すらなかった。
水を流さないようにした流し台のシンク内で水気を切ろうとしたりする。
あることが頭にあって、そればっかりが脳を占有している状態。若い頃にはそういうことがあっても途中で気づいたものだが、まったく気づかないのだから嫌になっちまう。
まだ若い気でいるのに老化を思い知らされている。私よりもっと高齢の人たちが政の中枢にいて、国のマネージメントの一翼を担っていることが、如何にも不安になって来る。個人差があるとはいえ、新しいことを推し進めていくには不備がある。
そんな嘆きを書いている中でこんなのが目に入った。国政を司る人は別である。
そう、この齢でなければ分からないものがある。この齢でなければできないことが有る。失ったものを嘆くより、今できること、今の感覚と感性こそが価値がある。それを大事にしないのは傲慢なことなのかも知れない。
「昨日は今日の古へ 今日は明日の昔」 古謡
花咲く薔薇に逢へぬなら
せめていばらに触れませう
窗(まど)に光がささぬなら
爐の火に手をばかざしましょう
月の光のさすもとで
蝋燭の灯に葡萄酒が
燃えて紅玉(ルビー)にまがふゆゑ
うかれてなにを話しませう
「薔薇と月光」森亮 篠田一士 |
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